「九山山房」扁額
 筆、第4代、7第日本山岳会会長
  槇 有恒 氏
彫刻 日本山岳会会員 佐藤久一郎 氏
 1月21日( 月 ) 「 深田久弥の足跡ー17 」

 「 九山山房 」
 ヒマラヤなどの海外の文献など、深田久弥の蔵書は増え続け、家の中の多くを占領するようになっていました。昭和35年、志げ子夫人は、深田の北海道旅行中に、独断で庭に「本小屋」を建てました。
 深田はそのことを『山があるから』「本小屋」「たまたまその夏、収めすぎた税金の割り戻しが返ってきた。割戻しだから高が知れている。とは言え、私の家にとっては稀に見る大金であった。・・・「中略」・・・家内は本小屋を建てるのなら亭主に文句はないだろうと、と考えた。そうして無断で大工を引っぱってきた。」
と記しています。昭和35年10月29日、小林義正、望月達夫、横山厚夫、諏訪多栄蔵、藤島敏男達が招かれ、山房開きが行われました。
 「九山山房」には、昭和48年に閉じられるまで、多くの人々が訪れました。山房には「九山山房来客者名簿」が置かれ、閉じられるまで8冊となり、延べ700名余りの名が記されたそうです。
 「九山山房」は、深田を慕う人達やヒマラヤを目指す人達が集り、ここで多くの情報を得た登山者がヒマラヤへ羽ばたいていったのです。やがて「九山山は「ヒマラヤ登山の梁山泊」とも呼ばれるようになりました。
 海外登山の黎明期に、この「九山山房」が日本の登山界に果たした功績は今も高く語り継がれています。

 『ヒマラヤの高峰』
 1月20日( 日 ) 「 深田久弥の足跡ー16 」

 「 ヒマラヤへー3 」
 深田久弥はジュガール・ヒマール遠征後、ヒマラヤ関係の著書をますます書き続けます。先に記しました。昭和28年からの『岳人』への連載は、『ヒマラヤ山と人』発刊後も、ほとんど休載されず、ヒマラヤ関係の文を掲載続けます。昭和30年7月号から昭和31年2月号まで「ヒマラヤ雑記」、昭和31年3月号から昭和33年2月号まで「ヒマラヤ七千米級の山々」、昭和33年3月号から11月号まで「シェルパ手帳・など」。昭和34年1月号から昭和43年12月号までは「ヒマラヤの高峰」を連載します。『ヒマラヤの高峰』は、昭和39年「雪華社」から第一巻が刊行され、全五巻と写真集が昭和41年完結発刊され、深田久弥のヒマラヤ文学の集大成といわれます。
 その後も『岳人』では、44年1月号から「九山山房夜話」と名うってヒマラヤを書き続け、昭和45年1月号から連載され、絶筆となった「世界百名山」に続きます。
 深田の多くのヒマラヤ文学は、当時のヒマラヤを目指す若い登山家に読まれ、ヒマラヤへの夢を抱かせ、更にヒマラヤ登山に向う人達に多くの情報を与えたのです。

 ジュガール・ヒマール探査隊メンバー
向って左から、古原和美(医師)、山川勇一郎(画家)、深田久弥(文筆家)、風見武秀(写真家)
 1月19日( 土 ) 「 深田久弥の足跡ー15 」

 「 ヒマラヤへー2 」
 昭和33年、深田久弥はヒマラヤの途につきます。55歳でした。目的地は、ネパールのカトマンズに近い「ジュガール・ヒマール」でした。深田がリーダーとして企画されたこの「ジュガール・ヒマール探査隊」は、当時の日本では珍しい少数の隊で、後に提唱される「ライトエクスペディション」の先駆けででした。
 最初の計画はかなりずさんだったようで、日本山岳会で先年のマナスルメンバーなどから指摘をうけますが、やがて彼らから大きな応援を受けます。当時は日本は貧乏で簡単に外貨が得られませんでしたが、多くの人々の協力で、渡航手続きも出来ました。昭和33年2月28日、東京を「つばめ」で出発、3月2日神戸から「サンゴラ丸」に乗船、3月26日、インドのカルカッタに到着。陸路、4月13日ネパールに到着します。
 4月17日、キャラバン開始、4月27日、ベースキャンプ到着。5月6日、キャンプⅠ、5月10日、キャンプⅡ、5月12日、キャンプⅢ(最終キャンプ地、標高約5000m)。
 5月16日、キャンプⅢ撤収、5月23日、ベースキャンプ撤収。6月3日、ガンジャ・ラ(ガンジャ峠)を越え、ランタン溪谷に入ります。6月10にカトマンズ着。6月17日、飛行機でカトマンズを出発。6月27日、東京着。約4ヶ月の遠征でした。
 深田は、遠征後『氷河への旅(風見武秀の写真と共著)』『雲の上の道』なども上梓します。
 深田が「ヒマラヤン・クヮルケット」と称した、この小さな登山隊の遠征は多くのヒマラヤを目指す若者達に希望を与えました。

 昭和31年 『ヒマラヤ山と人』
 1月18日( 金 ) 「 深田久弥の足跡 ー14 」

 「 ヒマラヤへ 」
 深田久弥を語るには、ヒマラヤを外すわけにはいけません。深田のヒマラヤへの夢は戦前から始まっていました。妻に「いずれはヒマラヤへ行くから貯金をしておいてくれ」と言っていたそうです。
 昭和27年、深田は石川県の山岳競技の監督として、山形国体の会場、鳥海山に行きます。その時、当時海外登山に最も精通していたといわれた「諏訪多栄蔵」に会い、意気投合します。その後諏訪多は深田に海外の情報を伝え続け、後に日本最大級といわれた深田の蔵書の収集に協力するのです。
 昭和28年、諏訪多の勧めにより、山岳雑誌『岳人』に「机上ヒマラヤ小話」を連載します。
 「机上ヒマラヤ小話」は昭和31年にまとめられ、中央公論社から『ヒマラヤ山と人』として出版されます。おりしも、日本の威信をかけて取り組んできた「8000m峰、マナスル」が、同じ年、日本山岳会隊により登頂されます。
 日本のヒマラヤブームの到来ともいえる出来事でした。深田のヒマラヤ文学も当然のように世の注目を受けるようになります。
 深田はその後もヒマラヤの著書を書き続け、この文章からヒマラヤの素晴しさを知った若者達が、ヒマラヤに夢を抱いて行くのです。
 

 昭和39年7月発刊『日本百名山』
 1月17日( 木 ) 「 深田久弥の足跡ー13 」

 「 日本百名山ー3 」
 昭和39年に出版された『日本百名山』は、日本の登山界に大きく影響を与えました。林房雄は、朝日新聞の文芸時評で、「私はこの貴重な本を一気に読むことを控えた。著者を案内者として、一日に三つ以上の山に登らないことにして大切にして読んだ。読み終わって、また何度も読み返せる本である。」と言っています。
 平成に入り、NHKが「日本百名山」を放映し、百名山ブームが起こりました。
 それまでの登山の世界は、大学の山岳部や社会人山岳会が中心でしたが、グループに属さない一般の登山者の増加に影響を与えました。
 ただ、百名山ブームに乗って、百名山だけを目指す登山者が増えたことが、百名山一極集中現象を起こし、問題も出てきました。
 深田久弥の『日本百名山』も知らず、ただただ百名山を目指す人達です。山や自然を愛し、崇拝し、鑑賞や学問研究する人々の系譜に入らない人達の台頭です。
 深田は、そのような登山を望まなかったと思います。今、天上界から、この有様を見下ろして、彼は何とお思いでしょう。
 先にも記しましたが、そんなことを予測してか、深田久弥は晩年「避衆登山」を唱え人のあまり行かない山を選び登っていました。、

      『山と高原』誌
 1月16日( 水 ) 「 深田久弥の足跡ー12 」

 「 日本百名山ー2 」
 先にも記しましたが、「日本百名山」は、雑誌『山と高原』誌に、昭和34年3月号、「鳥海山・男体山」から連載が始まり、4月号「蓼科山・石鎚山」5月号「岩木山・開門岳」と掲載され、一度も休載されることなく、昭和38年4月号「富士山・筑波山」で完了した作品で、翌年昭和39年7月20日、新潮社から単行本として出版されました。
 『日本百名山』は、1座あたり、400字づめ原稿用紙5枚きっかりの字数で書き続けられました。選定基準は「山の品格・歴史・個性」で、中でも「歴史」は、深田らしいものです。日本人は、世界に稀に見る山を崇拝してきた民族です。深田は山を選び描くにあたり、その日本人の心を念頭においていると思われます。
 『日本百名山』は出版された翌年、昭和40年に「読売文学賞」を受賞しました。読売文学賞の選者だった小林秀雄は「日本百名山は近頃最も独特な批評文学だと考えたからである。批評の対象が山である点が、たいへんおもしろいのである。著者は、山を人間と見なして書いていると言っているのだが、山が人間なみに扱えるようになるのには、どれほど深山の山々と実地につき合ってみなければならなかったろう。著者は、人に人格があるように、山には山格があると言っている。山格について一応自信ある批評的言辞を得るのに、著者は五十年の経験を要した。文学の秀逸はそこからきている。」と評しています。

 昭和10年 雑誌『山小屋』
 1月14日( 月 ・成人の日 ) 「深田久弥の足跡ー11 」

 「 日本百名山 」
 昭和34年から38年にかけて、山岳雑誌『山と高原』に連載され、昭和39年に新潮社から上梓された『日本百名山』は深田の代表作とされています。
 ただ、深田は戦前の昭和15年に、雑誌『山小屋』で、「日本百名山」という表題で書いています。深田久弥は昭和33年2月、別冊『文藝春秋』に掲載された「混まない名山」「日本百名山を選んでみようという考えをもったのは随分前のことである。戦争の始まる頃であろうか。ある雑誌に、自分で撮った拙い写真に説明をつけて百名山を連載しかけたことがあった。」と記しています。選ばれた山は、高千穂、乗鞍岳、岩菅山、妙高山、燧ケ岳、至仏山、五竜岳、蓼科山、宝剣岳、高田大岳、白山、会津駒ケ岳、薬師岳、太郎山、高妻山、霧ヶ峰、赤岳、開聞岳、湯ノ丸山、岩手山など20座で、今日読まれている『日本百名山』には選ばれていない山も多くあります。
 昭和30年代になり深田の登山知識が豊富になり、選び方も変わったのでしょうが、その頃から深田の脳裏に日本百名山の構想があったのが想定されます。
 「日本百名山」を掲載された雑誌『山小屋』全10冊と、その文は、現在深田久弥山の文化館の「資料文献室」で公開しています。

 深田最初の山の単行本『わが山々』
 1月13日( 日 ) 「 深田久弥の足跡ー10 」

 「 山の文学者 」
 深田久弥は現在山の文学者として讃えられています。深田が山の文学者として活躍したのは、昭和30年以降ですが、戦前の小説家時代も山の文学を書き始めていました。単行本としては昭和9年、山の紀行文集『わが山々』を改造社から出版しています。小説最初の単行本『翌檜』を出した翌年です。その後、昭和12年『山岳展望』、昭和15年、雑誌『山小屋』で「日本百名山」を20山書き、昭和19年には『山岳紀行』を書きます。戦後は、昭和31年『山秀水清』を初め『山岳遍歴』『瀟洒なる自然』『雪白き山』など、多くの山岳文学を上梓し続けます。昭和34年、雑誌『山と高原』で、「日本百名山」を連載、昭和39年に新潮社から単行本として出版されます。翌年昭和40年、『日本百名山』は、読売文学賞を受賞し、深田の代表作といわれるようになります。
 また、ヒマラヤ関係の著書も多く出し、昭和33年「ジュガール・ヒマール探査行」も行い、ヒマラヤ研究の第一人者とも呼ばれるようになり、現在も日本の山岳の世界に貢献したことが讃えられています。
 

 茅ヶ岳にて深田久弥終焉の写真
     山村正光氏 撮影
 1月12日( 土 ) 「 深田久弥の足跡ー9 」

 「 茅ヶ岳にて 」
 茅ヶ岳は山梨県北杜市と甲斐市の境界に立つ、標高1704mの山です。中央線を長野県に向ってゆくと、遥に八ヶ岳に似た山が見えて来ます。しかしそれは八ヶ岳ではなく茅ヶ岳で、「偽八つ」という不名誉な呼ばれ方もする山です。
 1971年3月20日午前11時、深田は昨日紹介したメンバーと、韮崎駅に降り立ち、鶴城山岳会の山村正光と落ち合い、近くの新府城跡を散策します。「いぬふぐり先ず現れて坂となる」「いぬふぐりたんぼぼの黄ととなりあい」と詠んでいます。これが深田の絶句となります。そのあと宿舎の「穴山鉱泉、能見荘」に入ります。
 翌日3月21日、8時15分、能見荘を出て、8時45分登山口を出発します。10時55分、女岩の鞍部に着き休息します。そのとき深田は手からアンパンをころりと落とします。これが脳卒中の前兆だったかもしれません。11時20分頃出発した直後、山村が「この辺りは5月の終わりにもうイワカガミが咲くんですよ」よ言うと「それはきれいだろうね」と応えた瞬間、深田は左肩を下にして倒れました。鼻息が荒くいびきは大きいので脳溢血と判断しました。若い山村が救援を求め駆け下りましたが、深田は午後1時頃息を引き取りました。救援隊は夕方到着し、遺体は地元の白鳳山岳会のメンバーを中心にして担ぎ降ろされ、病院に安置されました。(救出に加わられた、白鳳山岳会、望月氏言)急遽駆けつけた志げ子夫人や長男森太郎さんと夜遅くに会うのです。深田久弥68歳でした。この頃深田は『岳人』に、「世界百名山」を連載中でした。遣り残した仕事も多く、無念だったでしょう。
 深田の死後、約10年後、登山口(韮崎市)に深田公園も韮崎市により造られ、毎年4月には「深田祭」が開催され、茅ヶ岳は有名な山になりました。筆者も3回ばかり登らせて頂きましたが、展望の良い素晴しい山です。

 昭和39年 国師岳にて 深田久弥
     望月達夫氏 撮影
1月11日( 金 ) 「 深田久弥の足跡ー8 」

 「 登山家ー2 」
 第一高等学校時代から始まった、深田の日本全国の山々への登山は、昭和19年から21年の兵役時代を除いて生涯を通じて続けられました。昭和10年には「日本山岳会」にも入会します。戦後、復員したすぐの新潟疎開時代も越後の山や、スキーを楽しんでいました。また、昭和22年から30年までの大聖寺や金沢に住んだ時代は、穂高岳、剱岳、白山などに登っています。故郷大聖寺では、昭和24年に、「錦城山岳会」を立ち上げてもいます。
 昭和30年に東京に移ってからは、本格的に日本の山々に登り始めます。
 後に詳しく記しますが、昭和33年にはヒマラヤのジュガールヒマール、ランタンヒマールに遠征しますし、昭和34年から執筆を始めた「日本百名山」の調査もあり、足しげく日本の山々を歩き続けます。
 『日本百名山』上梓後も、親しい友人と各地の山々を歩いています。晩年の同行者は、日本山岳会の友人達でした。昭和46年3月21日、終焉の山「茅ヶ岳」も、藤島敏男、村尾金二、坂本桂、近藤恒雄、伊倉剛三、山村正光などの日本山岳会メンバーでした。深田久弥はその頃「避衆登山」を唱え、人のあまり行かない山を選んで登っていました。「避衆登山」は、よく山に同行した友人、深田の文章で「不二さん」として登場する、藤島敏男の提唱したものだったそうですが、深田の登山のモットーだったとも思われます。明日は、終焉の山茅ヶ岳について少し詳しく記しましょう。

 一高旅行部OB アザラシ会の仲間
 1月10日( 木 ) 「 深田久弥の足跡ー7 」

 「 登山家 」
 先に記しましたが、深田久弥は11歳の時、富士写ヶ岳に登り登山の趣味を持つようになり、福井中学時代に、大聖寺学生会の人々と、故郷江沼の山々を登り、中学3年の時は、白山にも登り登山家の道を歩み始めました。深田の著書『山さまざま』に収録されている「ふるさとの山」には「当時中学生だった私達三人の仲間が、三高の学生だった一人の先輩に連れられて白山に出かけた」と記されています。この白山登山は、勝山の姉の家から歩き、谷峠~白峰(泊)~白山温泉(泊・現市ノ瀬)~越前禅定道~現、観光新道~室堂(泊)~加賀禅定道~尾添~小松駅・・・と歩いています。最終日の4日目は、室堂から小松駅までの長距離を一気に歩きました。「ふるさとの山」には「朝3時から夜の十時までほとんど歩きづめ、距離にしたら十七、八里もあったろうか、私の今までの登山経歴の中で、これが一日に最も多く歩いたレコードである」と記しています。この登山で高山の素晴しさを知ったそうです。
 第一高等学校入学後は、一高旅行部の人達と、全国の山々やスキーに熱中します。最初の山行きは、一高旅行部の燕岳から槍ヶ岳の縦走でした。そのころ、先輩の浜田和雄から山岳展望の薫陶を受けました。
 ただ悲しいこともありました。大正15年、東京帝国大学に入学した年、第一高等学校の後輩2人を連れ、八ヶ岳に登りましたが、メンバーの一人吉村恭一が滑落死しました。深田久弥の登山人生でただ一回の死亡事故の経験でした。
 第一高等学校旅行部OB会の「アザラシ会」の仲間達とは、卒業後もスキーや登山を続けました。

 昭和10年発刊『津軽の野面』
 1月9日( 水 ) 「 深田久弥の足跡ー6 」

 「 小説家 」
 深田久弥は大正15年第一高等学校を卒業、東京帝国大学文学部哲学科に入学。昭和2年帝大在学のまま「改造社」の編集委員となります。
 改造社は当時画期的な「円本」を出すなど、日本における代表的な出版社でした。ここで編集をしながら、昭和4年「津軽ののずら」を「新思潮」で発表。更に、昭和5年、小説「オロッコの娘」を「文芸春秋」に発表、文壇から高い評価を得ます。同年、帝大を中退、改造社も退社し、作家活動に入ります。
 そして、昭和7年に小説『あすなろう』を改造社から発刊、昭和10年小説『津軽の野面』、『青猪』、昭和12年小説『鎌倉夫人』、昭和14年小説『知と愛』、昭和16年、随筆集『春蘭』、小説『紫匂う』を発刊、昭和17年、小説『紫陽花姫』、昭和18年、小説『親友』、『続・知と愛』などなどと多くの小説作品を出版し、昭和7年に鎌倉に移り住むことにより、鎌倉文士の1人として活躍します。ただ、戦後は小説作品が少なくなり、戦後の小説単行本は、昭和31年に発刊された『火にも水にも』くらいです。
 戦後は、小説家時代からも書いていた山岳文学が、彼の文学の中心となるのです。ただ、小説家であった彼だからこそ、格調高いあの山岳文学につながったといえます。


 第一高等学校時代の深田久弥
 1月7日( 月 ) 「 深田久弥の足跡ー5 」

 「 第一高等学校へー2 」
 深田久弥は大正11年、第一高等学校に受験します。受験後、彼は東京から東海道経由で歩いて郷里に帰っています。著書『きたぐに』に収録されている「制帽」で、「試験が終わってから発表までの、不安な落ち着かない気持ちは今も昔も変わりない、その気持ちをまぎらすため、私は試験のすんだ翌日放浪の旅に出た。もちろん貧乏だから宿屋などのは泊まれない。夜行の汽車や駅の待合室を寝床にした。」と記されています。中学校のとき、福井から大聖寺まで歩いて帰ったことのある、足に自信のある深田らしいエピソードです。「自宅に帰りつく一日前、私にも大きな喜びの通知が来た。私は正々堂々と一高の帽子をかぶって家のしきいをまたいだ。」
 深田久弥は一高に無事入学し、当然勉学に励むのですが、登山も盛んに行うようになります。一高の旅行部の仲間と、スキーや山に行き、また、「裸像」や「新思潮」に参加し、文学者への道も歩み始めます。 

 曹洞宗大本山 永平寺
 1月6日( 日 ) 「 深田久弥の足跡ー4 」

 「 第一高等学校へ 」
 深田久弥は福井中学卒業後、父親の意向で金沢の「第四高等学校」を受験しますが、失敗します。翌年「第一高等学校」を受験し合格します。
 現在のように予備校がありませんでしたので、彼は、父親の友人であった、実性院(大聖寺藩前田家の菩提寺で曹洞宗の寺)の住職の紹介で、福井県の曹洞宗大本山永平寺で約3ヶ月受験勉強をします。深田久弥の著書『きたぐに』に収録された「永平寺の思いで」には、「故郷の町に実性院という曹洞宗のお寺があって、これは旧藩公の菩提寺だが、そこの肥った和尚さんに永平寺に紹介してもらった。そのころ永平寺では俗人は一切禅堂生活に入れないことになっていたが、どういう次第でか特別に僕の参加が許された。・・・中略・・・永平寺における僕の待遇は次のようだった。庫裏の中の中二階のような所にある細長い部屋が僕にあてがわれた。」と記されています。
 このように勉強し、深田久弥は翌年第一高等学校を受験し、合格するのです。
 四高に入れなかった深田が何故一高にはいれたのか?。深田久弥の弟の妻である民さんによると、深田は初めから四高には行きたくなかったので、わざと落ちたとのことです。ただ、仔細は分かりませんが、福井中学なども含め、彼の青春時代に福井が多くのものを与えたといえます。

  福井中学時代の深田久弥
 1月5日( 土 ) 「 深田久弥の足跡ー3 」

 「 福井中学 」
 深田久弥は、家の後を継ぐか、文学の道に進むかかなり悩み、先ず家業を継ぐべく高等科に進みました。しかし勉学の思いを断ち切れず、一年遅れて旧制中学に進みます。学校は福井中学でした。そのころ大聖寺に中学は出来でいなく、母の故郷が福井市だったから選んだのでしょう。福井中学は福井藩の藩校「明新館」が元となった名門校でした。この学校には2級上にプロタリア作家となる中野重治、同級に、同じ作家となる森山啓がいました。また何級か下には後には熊谷組の社長や、福井市長、参議院議員として活躍する熊谷太三郎がいました。
 中野や森山とは中学時代から交流があり、熊谷太三郎とは、第一高等学校時代に親しく交友し、一緒に山に登っています。
 深田久弥の著「わたしの母校福井中学」では「母校福井中学は城址の中にあった。古い石垣と濠にかこまれていた。濠にはハスの花が咲き、それが枯れると、カイツブリの浮き沈みしているのが見えた。運動場の一番端に「突角」と呼んだ小さな芝生があった。高い石垣の角にあたる所で、そこから真正面に、晴れた日には、白山が美しく見えた。・・・「中略」・・・私は不勉強者であったが、いい先生が多かった。森山啓君のお父さんは数学の先生で、怖い生徒監でもあった。小柄で、カイゼルひげをピンとはねて、集合した全校生徒の前に立つと、そのギョロリとした一瞥だけで悪童どもがシュンとした。」と、中学時代の思い出を記しています。
 

    富士写ヶ岳(942m)
 1月4日( 金 ) 「 深田久弥の足跡ー2 」

 「 富士写ヶ岳 」
 富士写ヶ岳は加賀市南部に聳える、古来から江沼三山に数えられてきた山です。
 標高942m、一等三角点の山で、約2000万年前に火山活動で生成された山です。春、4月の終わりから5月にかけて石楠花(ホンシャクナゲ)の花が多く咲くことでも有名です。
 深田久弥は大正3年、11歳の時、大聖寺学生会の先輩に伴なわれ、初めての登山としてこの山に登りました。深田久弥の著書『名もなき山へ』の中の「わが故郷の山(初出、1959.7.5北国新聞)」によると、日帰りで、朝大聖寺から徒歩で行き、帰りも大聖寺まで歩いて帰ったと記されています。山間部も含め総距離40km.余りの歩きでした。この時先輩から「足腰が強い」ことを誉められたそうです。この誉められたことが、登山という趣味を持つようになったと記しています。
 また、山に誘った大聖寺学生会の先輩の中で、5歳年上の稲坂謙三氏の存在が大きな影響を与えたでしょう。稲坂謙三氏は後の金沢医専時代に、石川県山岳史にとどめる「有雪期白山全山初縦走」の記録を立てている素晴しい登山家でした。
 深田は同じ文章の中で「山が好きになったのは、おだてられたことと、もう一つはよい先輩を得たことであった。その先輩とは、大聖寺の医者の旧家で、現在もその業を営んでおられる稲坂謙三氏である。幼なじみの呼び方をすれば、その謙ちゃんは、私が中学生の時、金沢医専の学生で、医専の山岳部を牛耳っていた。私はどれほど謙ちゃんから山の話を聞かされただろう。」と記しています。深田の中学時代、故郷の山々に、この稲坂謙三氏など先輩と共に多く登り、後の登山家の礎を築いたのです。その最初の山が、富士写ヶ岳でした。

  2歳 深田久弥
 1月3日( 木 ) 「 深田久弥の足跡-1 」

 今日からしばらく、深田久弥の物語を連載したいと思います。
 「 生い立ち 」
 明治36年(1903)3月11日、深田久弥は、石川県江沼郡大聖寺町中町で、深田弥一と母とめの長男として生まれました。深田家は江戸後期1800年ころ、近くの深田集落から大聖寺に来て、村の名「深田屋」を屋号として紙業を商ってきた一族でした。久弥の生まれた頃は印刷業も始め、大聖寺を代表する商家でした。
 久弥は小さい頃から秀才で、いつも本を離さない子供で、ご飯の時も本を離さず、親に注意されていたと伝えられます。京逵(けいき)幼稚園、錦城小学校へと進み学業を積みました。学業は優秀で、体力もあり活発な少年でした。
 また、文学の道もこの頃から始まり、少年雑誌にも投稿し入選も果たしていました。例えば、大正4年8月号の文教社の『小学生・5巻8号』に「射的」という題で5人の中に選ばれています。また、同誌の10月号では、和歌「松虫の鳴く音便りに近よれば はたと音止みて静けき宵よ」が26名中2番目の選に入っています。
 そのころから文学に目覚めていましたが、長男ゆえ、家を継ぐか悩んだといわれます。

 初詣 江沼神社

 菅生石部神社、元旦0時にお参り
 2019年1月2日( 水 )
     「 明けましておめでとう御座います 」

 明けましておめでとう御座います。2019年が始まりました。今年も宜しくお願いいたします。元旦1月1日は、午前は素晴しい晴天で、今年の良き年を占うようでした。昨年の字「災」を乗り越え、今年は素晴しい年で有りますようお祈りいたします。
  
   山下神社          愛宕神社           菅生石部神社
 お正月とて、初詣にまいりました。毎年行っている徒歩でのお参りで、大聖寺の人は三社参りと言います。筆者は愛宕神社を加え四社参りをいたします。
 江沼神社は、菅原道真と大聖寺藩初代藩主を祀る学問の神の神社です。深田久弥の文学碑もあります。
 山下神社は、大聖寺で一番氏子の多い神社です。
 愛宕神社は火の神を祀った神社です。
 菅生石部神社は、かっては加賀の国の二ノ宮の格式をもった神社で、1500年ほどの歴史をもつ、格式の高い神社で、参拝の人も多く30分ほどの行列をつきお参りできました。(大晦日の夜にまずお参りしました」

  お正月の飾りが整った
  深田久弥山の文化館
 12月29日( 土 ) 「 さようなら2018年 」

 今年の山の文化館も最終日となりました。
 各地で大雪が報じられていますが、ここ大聖寺はおだやかです。昨夜の雪も僅かで、ほんのり白い屋根も、年末の風情です。
 今年一年間、有難うございました。8月には、待望の「資料文献室」もオープンし、多く方々がお出でになり、深田久弥と山の文化をお伝え出来たかと思っています。
 来年も深田久弥と山の文化を愛する会の会員や、館の職員そろって、益々館の内容と活動を充実して行きたいと思っています。
 来る2019年。良いお年で有りますよう。
 尚、山の文化館は、1月2日から開館しています。皆さんのご来館お待ちしております。

 うっすらの雪
 12月28日( 金 ) 「 年の瀬 」

 今年も残すところ4日となりました。北陸では大雪と気象庁が報じていますが、ここ大聖寺は大雪の気配はありません。今日早朝から雪がぱらつきましたが、地熱のある地表にはまだ積雪はありません。山の文化館の前庭のウッドデッキが、うっすらの雪化粧です。
 山の文化館は、今年は明日までです。ほのかな雪景色を愉しみ、山の文化館にお出で下さい。

     北陸新幹線 工事
 12月26日( 水 ) 「 北陸新幹線 」

 北陸新幹線の工事が、着々進んでいます。写真は、加賀温泉駅近くの工事の様子です。巨大な柱が立ち並び、堅牢そうな橋げたが見えます。
 約4年半後、金沢と敦賀までが開通とか聞きます。高期高齢者の筆者は、その列車に乗ることが出来るかわかりませんが、筆者の家の前30m先、眼上30度先に、新幹線が走り、かなりうるさくなる心配の方が大きいです。しかし、加賀市の発展になるのなら・・・と、その期を期待しながら待っています。安全に工事が進むよう祈りながら。

 深田久弥山の文化館 2018.12.23
 12月23日(日 ) 「 開館16周年 」

 2002年(平成14年)12月23日に深田久弥山の文化館は開館しました。今日で16年になります。開館時は加賀市直営でしたが、2006年4月1日、深田久弥を愛する会による指定管理となり、現在に至っています。
 その間、展示も次々と充実を重ね、更に今年8月には、新しい「資料文献室」もオープンしました。
 来館者も、北は北海道から南は沖縄から全国各地からおいでいただき、深田久弥の素晴しさを感じて頂きました。
 これからも更に充実を重ね、深田久弥の精神と山の文化を伝えるミュージアムにして行きたいと思います。皆さんこれからも暖かいご指導と応援を宜しくお願いいたします。

  白山 2018.12.21 夕方
 12月22日( 土 ) 「 冬至 」

 今日は冬至です。冬至は24節気の立春から始まる22番目の節気で、北半球では昼の1番短い日です。また、この日から次の節気、小寒までの間でもあります。
 ほんとの寒さはこれからですが、1番短い昼間の時間が、だんだん長くなることから、春に向って季節が移ろう思いが感じる日でもありますね。
 昨日は小春日和、澄み切った空の向こうに、純白の白山が望めました。

   早朝の白山
 12月16日( 日 ) 「 師走 」

 今年、平成最後の年もも残すところ半月となりました。
 今朝、大聖寺では初氷を見ました。早朝に大聖寺河畔を歩きました。白山がくっきりと望めました。 
 何時眺めても神々しい姿です。思わず手を合わせました。

 富士写ヶ岳 新雪
 12月12日( 水 ) 「 富士写ヶ岳 新雪 」

 昨日は山の文館の定休日です。素晴らしい晴天でした。加賀市のほぼ中心の地に建つスーパーマーケットの屋上から、周囲の山々を望みました。
 南の方角に三角錐の山が見えます。富士写ヶ岳です。江沼三山の一つに数えられる942mの一等三角点の山です。深田久弥が11歳のとき、先輩に誘われ始めて登った山としても有名な山です。
 いよいよ冬山の季節ですね。筆者も何度あの稜線をラッセルしたでしょう。懐かしい思い出の多い山です。

  岩崎元郎氏 講演会
 12月10日( 月 ) 「 岩崎元郎 氏 講演会 」

 昨日12月9日、深田久弥山の文化館主催の「岩崎元郎 氏の講演会が、加賀温泉駅の傍の「アビオシテイホール」において行われました。演題は「山に登れば元気になります」です。氏の長年の登山の経験に基づく、山の歩き方や山への心構えを話されました。
 ただ、北陸新幹線がストップ、軽井沢で3時間足止めされ、開会が2時間遅れるハプニングが有りちょっと大変でしたが、100名近くの方々が聴講され、盛り上がりました。
 岩崎さんご苦労様、参加の方々有難うございました。


   岩崎元郎 氏
 12月2日( 日 ) 「 お知らせ 」

 「岩崎元郎氏 講演会のお知らせ」
 来る12月9日(日)13:30~15:00加賀温泉駅横のアビオシティホールにおいて、岩崎元郎氏の講演会が行われます。演題は『山に登れば 元気になります』です。
 岩崎元郎氏は1963年18歳の時「昭和山岳会」に入り、登山活動を続け、その後1970年に「山岳同人 蒼山会」を設立します。
 1981年には「無名山塾」を設立、多くの著述や講演で登山者の啓蒙活動に従事します。中高年登山のブームを作った人の1人です。
 聴講は無料ですので、どなたもお気軽にお出で下さい。

 コマユミの実
 12月1日( 土 ) 「 冬来たる 」

 今年も早いもので、今日から12月です。師走です。
 山の文化館のイチョウやカエデの葉もほとんど落ち、初冬の風情です。
 庭の片隅に真っ赤な実をつけた潅木が、異彩をはなっています。
 コマユミ(小真弓)です。コマユミは、ニシキギ科の落葉低木です。北海道、本州、四国、九州ほぼ日本全土の山野に自生しています。秋には葉も実も真っ赤に色づきます。実は、アトリ、エナガ、コゲラ、シジュウカラ、ツグミ、メジロなどの小鳥が好んで食べます。
 深山や真弓よりこき色ぞなき 紅葉は秋のならひなれども 土御門院

       江沼神社
 11月29日( 木 ) 「 秋深し 」

 深田久弥山の文化館の近くに、江沼神社があります。江戸時代は大聖寺藩前田家の庭園でしたが、明治になり藩主前田家の先祖の「菅原道真」と、初代藩主前田利治を祀り、江沼神社となったものです。学問の神を祀る神社です。
 境内には、重要文化財の「長流亭」や深田久弥の文学碑があります。
 今朝、ウオーキングの途中、旧大聖寺川の対岸から神社を拝みました。岸辺の木の紅葉があまりにも綺麗でしたので、カメラに収めました。

   カシミール3D画像と深田久弥の文章
 11月24日( 土 ) 「 お知らせ 」

 深田久弥山の文化館聴山房では『深田久弥山岳展望の世界・カシミール3Dによる「車窓から見た山」の仮想再現』の展示を開催しています。
 深田久弥は、若い頃、山友の田辺和雄や尊敬する山の先輩木暮理太郎の影響を受け、山岳展望に興味を持ちました。
 著書『山岳展望』や『山岳雑記帳』などのは、各地の車窓から見た山の文章が書かれています。
 今回は、深田久弥の文章から、展望地点を調べ、カシミール3D画像で再現し、更に撮影地の地形図と、文章を添えました。
 開催は11月17日から来年1月28日までです。
 聴山房展閲覧は無料ですので、皆さんお気軽にお出で下さい。

     山の文化館 今日
 11月23日( 金 ) 「 秋深し 」

 今日は時雨模様です。山の文化館の大イチョウの葉もかなり散り落ちました。しばらく黄色い絨毯の風情です。
 今日は「勤労感謝の日」で3連休です。皆さん山の文化館の風情をご覧下さい。

   霊峰白山 2018.11.16
 11月16日( 金 ) 「 お知らせ 」

 「聞こう会 深田勝弥氏」
 11月の聞こう会は、明後日11月18日、午後1時30分より、深田久弥さんの甥、深田勝弥氏の講演です。演題は「家の中の久弥」です。
 深田勝弥氏は、深田家の本家、大聖寺中町の深田屋を継いだ深田弥之介氏のご長男です。若い頃、東京の深田家で1年ばかり過ごした頃がありました。
 そのころの、深田久弥さんの生の姿をお話しいただけます。
 聴講は無料ですので、お気軽にお出で下さい。

  コウバコガニ
 11月15日( 木 ) 「 冬の味覚 」

 北陸の冬の海の味覚と言えば、ブリ(鰤)、アマエビ(甘海老)、そしてズワイガニでしょう。ズワイガニで有名なのは、鳥取県(マツバガニ)、福井県(エチゼンガニ)、石川県では(カノウガニ)と呼ばれています。ただ、これは雄のズワイガニです。雌は鳥取や福井ではセイコガニと呼び、石川ではコウバコガニ(香箱蟹)と呼んでいますね。
 雄のズワイガニは高価で筆者など貧乏人は食べれませんが、コウバコガニは安価なのでよく食べますね。筆者の子供の頃(約60~70年前)は更に安価で、子供のお八つになったほどでした。
 その頃は産地だけで食べ、都会では知られていなかっつたのです。現在はその美味しさが知れ渡り有名になり、都会でも消費されるようになり、産地の石川県でも、かなり高価になりました。資源保護のためコウバコガニは11月6日~12月29(今年)だけが漁期ですので、ますます高価になり筆者などは1年に1回だけ、まあ季節を感ずるためだけに食べるくらいです。
 有名になるのもよしあしですね。

 料理されたコウバコガニ

  黄色い絨毯
 11月14日( 水 ) 「 晩秋 」

 秋深しです。山の文化館のイチョウの葉もちらちら降り始めました。
 前庭のウッドデッキの上に、黄色いイチョウの葉が積もりはじめました。
 ここ当分は箒を持たずそのままにしておきます。梢の葉と床面の葉が素晴らしい景観をかもし出します。
 今から1週間ばかりが見ごろです。
 皆さん、山の文化館の黄葉を観に来て下さい。

  加賀山岳会創立50周年記念式典
 11月11日( 日 ) 「 錦城山岳会から 」

 昨日11月10日、片山津温泉「ホテル・アローレ」で「加賀山岳会」の創立50周年記念式典が行われました。加賀山岳会は、深田久弥さんが昭和24年に立ち上げた「錦城山岳会」を母体に、50年前、加賀市の他の2つの山岳会と合併し設立された会です。錦城山岳会設立から69年になります。
 派手な活動はしていませんが、深田久弥さんの精神を尊重し、地元の山々研究や登山道整備、自然保全に地道な活動を続けています。
 50年の節目に、石川県山岳協会会長さんほか多くの来賓、OBなども列席いただき、厳かな中にも愉しいひと時でした。

   椎茸実る
 11月8日( 金 ) 「 実りの季節 」

 今日は、時折雨の落ちる曇り空です。ただ、かなり暖かいですね。
 今年6月20日に、貰ってきて、山の文化館の庭に置いた椎茸のホダ木に、いよいよ椎茸が出てきました。まあるく可愛い椎茸です。
 もう少し大きくなったら食べられますね。ただ、山の文化館では食用というよりも、山の(林業の)文化という位置づけで育てたいと思っています。

    山の文化館大イチョウ
 11月8日( 木 ) 「 もみじ便り 」

 秋深しです。山の文化館のイチョウも黄色く色づいてきました。
 あと数日で最高の黄色になるでしょう。
 その後は「金色の 小さき鳥のかたちして 銀杏散るなり 夕日の岡に」、与謝野晶子のうたのように、チラチラと散ります。山の文化館では、散った葉をしばらくそのままにしておきますので、黄色い絨毯を敷き詰めたような風情になります。
 皆さん、山の文化館の紅葉を(黄葉)を観にきて下さい。

 NHK旅するラジオ出演
 11月7日( 水 ) 「 NHK出演 」

 NHKには、昼の12:30~12:55に放送する「旅するラジオ」という番組があります。今週は石川県が中心に放送され、今日11月7日は加賀市です。深田久弥山の文化館の駐車場で深田久弥を中心に生放送されました。ぶっつけ本番の生放送です。
 NHK金沢放送局のチーフアナウンサー宮崎浩輔アナの司会で、まず加賀市の案内がなされ、ついで山の文化館のスタッフにより深田久弥や山の文化館の説明をしました。また、深田久弥の生家の深田卓弥さんも生家のことを中心に話されました。最後に加賀ご当地グルメ推進協議会の人たちにより、カニごはんなど加賀市のグルメが紹介されました。

   大聖寺川 新川
 11月4日( 日 ) 「 水害の町、大聖寺 」

 朝ウオーキングで大聖寺川河畔を行きました。晴の天気予報でしたが、どんよりとした曇り空です。遥か彼方に江沼三山の一つ鞍掛山が望めました。
 大聖寺の町は、昔は洪水がよく起こる町でした。江戸時代にも度々の河川改修が行われましたが水害は度々起こりました。以前大聖寺川は町の中を蛇行して流れていました。洪水対策のため、町の北側の郊外に真っ直ぐな堀を掘ったのがこの新川です。昭和20年ころに完成し、大聖寺の洪水被害も少なくなりました。
 更に昭和40年代、上流に我谷ダムが出来、大聖寺の町の洪水はほとんど起こらなくなりました。それでも昭和56年には支流の熊坂川、三谷川上流の豪雨により、水害が起こりました。これも、三谷川、熊坂川の改修で更に安全になりました。
 長年の人々の川との闘い、この心が見える新川です。
 ただ、川は豊な水を人々に与えてもくれました。江沼平野の穀倉地帯の多くの恵みは川とその源の山々ですね。
 川の畔を歩きながら、水面に手を合わせました。
 
 

     山の文化館 大イチョウ
 11月3日( 土 文化の日 ) 「 秋深し 」

 秋も深まってきました。今日は国民の祝日文化の日です。
 山の文化館の大イチョウも、ギンナンもほぼ落ちきり、いよいよ黄葉の季節を迎えつつあります。まだ、緑色が残っていますが、次第に黄の色が濃くなってくるでしょう。黄葉の見ごろは後1週間後くらいと考えています。
 皆さん、美しい大イチョウの黄葉を観にきて下さい。
 

   白山 初冠雪
 11月2日( 金 ) 「 白山 初冠雪 」

 気象庁金沢地方気象台は、昨日白山 初冠雪を発表しました。平年より15日、昨年より6日遅い観測だそうです。
 初冠雪とは、50km.離れた気象台から目視で観測して発表されるもので、山頂付近には数日前に積雪はあった模様とのことでした。昨日も、今日も雲が多く、大聖寺からは白山が見えませんでした。午後2:30雲が少し切れましたので、カメラでを向けましました。雲の間の山腹に雪らしい白い物が見えます。初冠雪ですね。

    吊るし柿
 10月26日( 金 ) 「 秋深し 」

 秋も更に深まり木の実の実る季節です。
 山の文化館の庭の柿の実も実り、例年のように吊るし柿を作りました。
 1ヵ月後くらいには、美味しく食べられるようになりますが、まずは季節の風物詩として眺めましょう。
 

    ツワブキ
 10月24日( 水 ) 「 秋の花 」

 山の文化館の前庭の椎の木の根方に、黄色い花が咲いています。
 ツワブキ(石蕗・艶蕗)です。ツワブキはキク科の常緑多年草で、秋の終わりころまで、鮮やかな黄色い花を咲かせます。葉に艶があるので、ツヤハブキ(艶葉蕗)や葉が厚いのでアツハブキ(厚葉蕗)から名がついたといわれます。

  ムラサキシキブの実
 10月21日( 日 ) 「 秋深し 」

 秋もしだいに深まってきました。朝の外気温は10度を下まわっていました。
 旧大聖寺川の河畔で、紫色の美しい実を見つけました。ムラサキシキブ(紫式部)です。ムラサキシキブはクマツズラ科の落葉低木です。
 山野に多く自生していますし、公園や庭にもよく植えられている樹木です。源氏物語の紫式部からつけられた名といわれますが、一説には、この果実は多く重なって付くので、「重実=シキミ=シキブ」・・・「ムラサキシキミ」が転化してムラサキシキブになったと云われます。この方が本当のように思われます。
 秋の木の実の中で特に美しい実ですね。

 作品 白山遠望
 10月19日( 金 ) 「 お知らせ 」

 山の文化館、「聴山房展」、今日10月19日から10月31日(水)まで、大同工業絵画部の皆さんの、「秋の絵画展」が行われます。
 山や花や家並みなどの美しい風景の素晴らしい絵画の数々です。
 絵画展の鑑賞は無料となっています。皆さんお誘い合わせの上お気軽においで下さい。

 セイタカアワダチソウ
 10月13日 ( 土 ) 「 お知らせ 」

 「聞こう会 小林晃氏 」
 明日日曜日、午後1時30分~恒例の聞こう会が、山の文化館で行われます。
 講師は、深田久弥を慕い結成された「深田クラブ」の初代会長の小林晃氏で、演題は「深田久弥と深田クラブ」です。深田久弥の精神を守り、山に登り、深田久弥の研究を続けて来た「深田クラブ」の世界や、深田久弥のひととなりの、貴重なお話が聞けると思います。聴講は無料ですので、皆さんお誘い合わせの上ご来場下さい。

「セイタカアワダチソウ」
河岸の土手に、黄色い花、セイタカアワダチソウが咲いていました。
セイタカアワダチソウは北アメリカ原産のキク科の多年草です。以前花粉症の元凶のように騒がれましたが、全くの濡れ衣でした。この花は虫媒花で、花粉症には関係ありません。また、繁殖力が強く、在来種の植物を駆逐するとも言われましたが、最近は派手な繁殖は収まっているそうです。秋の野の風物詩ですね。

 花壇に設置された歌碑
 10月7日( 日 ) 「 学園歌 」

 深田久弥は、金沢在住時代の昭和27年、当時設立された「石川県立保育専門学園」の非常勤講師として教壇に立ちました。
 深田久弥の著書『きたぐに』に収録されている「初めて先生になる」には、しかつめらしい教室の空気を一掃するため、始業時にシューベルトの「野ばら」、終業時にウエルナーの「野ばら」を、生徒とともに歌ったのだそうです。
 その後、昭和44年、深田久弥は、学園から依頼され「学園歌」の歌詞を作ります。
 先日、その学園の園長さんが、山の文化館を訪れたことから、交流が出来、昨日の学園祭に招待され、スタッフ等3名で訪問しました。学園祭では生徒たちの素晴らしい斉唱を聞かせていただきましたし、校庭の花壇には歌碑の銘板が設置されていたり、この歌が学園で大事に歌われていることを知り感激しました。

 

 ギンナン実る
 10月5日( 金 ) 「 実りの季節 」

 秋です。山の文化館の大イチョウ(公孫樹)の実が実りはじめました。
 10月いっぱいギンナン(銀杏)が落ちてきます。
 独特の匂いがしますが、洗った実は非常に美味しいですね。
 イチョウはイチョウ科の落葉高木です。今から約1000年ほど前に中国から渡来した帰化植物です。イチョウは人類のまだ出現しないはるか昔、今から2億年~6500万年前の中生代にすでに存在していた、化石のような植物です。
 梢を仰ぎながら、恐竜が走り回っていた地球を思い起こします。

 ガマズミの実
 10月3日( 水 』 「 実りの季節 」

 昨日、加賀市中央公園に行きましたら、林の中に赤い実を見つけました。ガマズミです。ガマズミは山地や丘陵地の明るい林に生えるスイカズラ科の落葉低木です。春、白い花を咲かせ、秋には真っ赤に実ります。食べられるそうです。焼酎につけると美味しいガマズミ酒になるそうですが、試したことはありません。食べずに、美しい実を鑑賞しましょう。
 ガマズミには、ガマズミ、ミヤマガマズミ、コバノガマズミなどの仲間があり、写真はコバノガマズミです。

 表彰式
 10月1日( 月 ) 「 ニユース 」

「加賀市ふるさとの自然ふれあいコンクール表彰式と作品展」
 深田久弥山の文化館では、市内の小中学校生を対象に「加賀市ふるさとの自然ふれあいコンクール」を行ってきました。内容は絵画と写真です。
 今年で13回目を迎えます。今年は270名あまりの子供達が応募してきました。
 素晴らしい作品が集りました。その中から「加賀市長賞」1点、「教育委員会賞」1点、「深田久弥山の文化館賞」1点、佳作10点、入選11点が選ばれて、昨日9月30日に、山の文化館で表彰式が行われました。
 選ばれた優秀作品は、山の文化館で10月13日(土)までr、山の文化館で展示しています。皆さん、子供達の力作をご覧になって下さい。
 閲覧は無料ですのでお気軽にお出で下さい。

 ホトトギス
 9月23日( 日 ) 「 秋の花 」

 今日は秋分の日、素晴らしい秋晴れです。
 山の文化館の庭に、紫色の花が咲き始めました。ホトトギス(杜鵑草)です。
 ホトトギスはユリ科の多年草です。秋を彩る草本の花の一つです。この地方の山には、ヤマジノホトトギスがよく見られます。ホトトギスの名は、花の斑紋と、鳥のホトトギスの腹の斑紋の模様が似ていることからつけられたそうです。

 白山(加賀市保賀町地内より望む)
 9月20日( 木 ) 「 秋晴れ 」

 台風が次々と来て荒れまわった晩夏も過ぎ、落ち着いた秋の風情です。
 昨日は、久しぶりにすっきり晴あがり、遠くの山々もよく眺められました。たなびく雲の向こうに、白山もその神々しい姿で聳えていました。白山では、そろそろ紅葉の季節を迎えるでしょう。真っ赤なナナカマド、ハクサンフウロなど。湿原ではイワイチョウの黄色い群落が山を染めるでしょう。
・・・・・・・秋です・・・・・・・

 ヒガンバナ咲き始める
 9月16日( 日 ) 「 秋の花 」

 山の文化館の近くの大聖寺川河畔に、今年もヒガンバナ(彼岸花)が咲き始めました。赤く艶やかな花です。ヒガンバナはヒガンバナ科(クロンキスト分類体系でがユリ科)の多年草です。日本では北海道から琉球まで全国で見られますが、帰化植物です。はるか昔、稲作伝来と共に来た植物と云われます。花が咲くときは葉は無く、秋花が咲き終わると地中から葉が出てきます。葉は春まで地上にありますが、夏には枯れてしまします。そして秋花茎が出てくるという変わった生態です。秋の彼岸ころに咲くのでヒガンバナと名がついたのでしょうね。全草有毒です。
 「赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてるジャガタラお春・・・」長崎物語の歌に出てくる曼珠沙華ヒガンバナのことですね。

  ハギの花咲く
 9月12日( 水 ) 「 秋の花 」

 山の文化館の庭に、白いハギ(萩)の花が咲き始めました。
 ハギはマメ科の落葉の低木です。秋の七草に数えられている名花です。
 大聖寺では、山の下寺院群の実性院の白萩が有名です。実性院は大聖寺藩前田家の菩提寺で、福井県の永平寺を本山とする曹洞宗のお寺です。
 山の文化館のハギも、10年ほど前、この実性院から小さな株を貰いうけ植えたものです。毎年秋になると白い清楚な花を咲かせます。

 落ちたギンナン
 9月5日( 水 ) 「 台風一過 」

 台風一過、秋晴れの晴天です。
 昨日台風21号が、昼ごろ四国に上陸し、北々東の方向に凄い速度で進みました。(日本海に出てから65km./sec)ここ、山の文化館の在る大聖寺には、午後4時頃通過しました。金沢では、瞬間最大風速44.3m、過去最大の風だったそうです。
 ここ、山の文化館はおかげさまでほとんど被害はありませんでした。
 昨日は休館日でしたので、今朝出勤すると、小さな木の枝が少しとギンナンがかなり多く落ちていました。建物の被害はありません。皆様安心してご来館下さい。
 今日から、川越裕子氏の『山の絵手紙展』も始まります。
 なお、台風で被害を受けられた皆様にはお見舞い申し上げます。

  獅子舞
 9月2日( 日 ) 「 お祭り 」

 秋です。お祭りの季節です。
 深田久弥山の文化館が在る、加賀市大聖寺番場町の、今日は秋祭りです。町内の若衆が、山の文化館でも獅子舞を舞ってくれました。笛の音色、勇ましい太鼓の音、お祭りはいいですね。懐かしい昔、童心に返りますね。

  川越さんの作品展示
 9月1日( 土 ) 「 お知らせ 」

 今日から9月です。山の文化館の在る大聖寺は、昨日から久しぶりのまとまった雨で、少し涼しくなりました。
 『川越裕子「山の絵手紙」展』
 9月5日(水)から9月24日(月)まで、能美市在住の川越裕子氏の「山の絵手紙展」が、山の文化館の聴山房で開催されます。
 山で描かれた、自然いっぱいの絵手紙です。素晴らしい色彩と、詩のような言葉、これを貰った人は、どんなに幸せな気持ちになるでしょう・・・と思われる絵手紙の数々です。皆さんお誘い合わせの上ご来場下さい。
 尚、聴山房展の鑑賞は無料ですので、お気軽においで下さい。
 

  カニ
 8月31日( 金 ) 「 かわいい訪問者 」

 今日、大聖寺は曇り空です。ちょっと暑さが和らいでいます。
 今朝、山の文化館の中のかわいい訪問者がありました。小さなカニ(蟹)です。
 サワガニでしょうか、アカテガニでしょうか。甲羅の模様からは、アカテガニのようです。アカテガニは大聖寺川の下流の「鹿島の森」付近に多く生息しています。大聖寺川を伝って、ここ大聖寺の町辺りへも来ると聞いています。大聖寺川は、山の文化館の横を流れています。たぶん、ちょっと参歩で来たのでしょう。
 撮影後、交通事故に遭わない様に、近くの川の方に運んであげました。

   ウドの花
 8月29日( 水 ) 「 秋の花 」

 昨日、久しぶりにここ大聖寺にも雨が降り、暑さも幾分和らぎました。 
 山の文化館の前庭に、白い丸い花が咲きました。ウド(独活)の花です。
 ウドはウコギ科の多年草です。ウドの大木と云われるように、2m以上に育ちます。山菜や野菜としても昔から昔から人々の生活に密着して親しまれてきた植物です。
 八百屋のウドは、真っ白いものが多いですね。これは、白いものが好まれるので、栽培するとき、土をかけたり、暗い場所で育て、葉緑素を少なくしたものです。
 天然ウドは緑色です。山の文化館には山野草として幾株か育てられています。
 写真のようなウドの花を知る人は少ないようですね。秋には黒い実となります。

 熊餌調査地
 8月27日( 月 ) 「 熊餌調査 」

 昨日、山中の県民の森付近の山に行ってきました。熊餌調査のためです。
 石川県では、秋の熊の出没の予想をだすため、毎年春(5月』にコナラ、ミズナラ、ブナなどの樹の花の量の調査、早秋(8月後半)の着果調査を行ってきました。
 その調査を、石川県自然解説員研究会が委託され、行なってきました。
 筆者も会員として、自分の担当地を春、秋、調査をしてきました。
 昨日は、平野部ではそれなりに暑かったのですが、山はひかくてき涼しく、愉しい山歩きでした。調査の内容は、後日石川県から発表になると思います。

 クズの花
 8月25日( 土 ) 「 秋の花 」

 暑い暑い日が続いていますが、季節は秋に向って少しずつ移っています。今朝、ウオーキングをしていますと、道端の林に紫の花を見ました。クズ(葛)です。クズはマメ科の蔓性多年草です。物凄い繁殖力ではびこり巻きついた木を枯らしてしまうほどです。
「葛の花 踏みしだかれて色あたらし この山道を 行きしひとあり」釈迢空(折口信夫)の歌ですね。はびこる植物ですが、花は美しいですね。また、根から食用や薬になる葛が採れます。
 萩、尾花、桔梗、撫子、女郎花、葛、藤袴・・・秋の七草の一つに数えられる、古から愛されてきた秋の花です。

 落花したギンナン
 8月24日( 金 ) 「 台風 」

 昨夜、台風20号が四国に上陸、北上し日本海に抜け、今朝未明から明け方にかけて、石川県の西の海上を北北東に進みました。未明から風が吹きはじめ、明け方まで強風が吹き、雨も降りました。山の文化館は特に被害はありませんでしたが、公孫樹の実、ギンナンが多く落ちました。まだ若い果実です。ただ、梢の枝には、まだまだ多くの実がついていますので、秋の実りは大丈夫でしょう。
 四国や紀伊半島などでは被害が出ているとニユースで聞きました。被害に遭われた方々、お見舞い申しあげます。

  テープカット
 8月23日( 木 ) 「 ニユース 」

「『九山山房』開設」
 山の文化館に長年の夢、資料文献室「九山山房」が完成し、昨日8月22日に、オープニング・セレモニーが行われました。宮元加賀市長、紋谷理事長の式辞、林加賀市議会議長、生家の深田卓弥氏の祝辞のあと、「九山山房」の扁額設置、そしてテープカットが行われました。
 愛称「九山山房」は、深田久弥さんが集めた膨大な書籍文献を保管していた建物の名です。昭和30~40年代、ヒマラヤを目指す登山家が、この文献と深田久弥さんの人となりを慕って多く訪れ、「九山山房詣で」や、九山山房は「ヒマラヤ登山の梁山泊」と呼ばれ、日本の登山界に貢献していました。
 山の文化館も、かっての深田久弥さんの「九山山房」と同じように、登山家、登山愛好家達の「梁山泊」となるべく、この資料文献室を充実して行きたいと思います。

  深田久弥生家
 8月19日( 日 ) 「 ニユース 」

 深田久弥さんは、明治36年3月、石川県江沼郡大聖寺町中町にうまれました。中町の深田家は、現在も印刷を中心に商売を続けています。
 この度、生家の二階を改造し、深田久弥を偲ぶ展示場として、開設しました。深田久弥が「生家の二階からも・・・白山が眺められる」と述べた、二階の窓もご覧になれます。ただ、現在は周囲の建物が高くなり、白山は望めません。山の文化館と共に、この生家もお立ち寄り下さいとのことです。

  

 鴨の親子
 8月17日( 金 ) 「 お散歩 」

 昨日、かなり強い雨が降りました。約1ヶ月ぶりの大雨でした。連日30℃を超える猛暑でしたが、今朝の気温は21℃でした。一気に10℃の気温差です。まあ、お盆を過ぎたのですから、これくらいが普通ですね。
 暑さも和らいだので、早朝ウオーキングに行きました。大聖寺川の堤防を歩いていますと、何と鴨の親子に出会いました。私が近づいても平気で堤防を横切り、川に入って行きました。
 微笑ましい風情でしたので、思わずカメラのシャッターを切りました。
 

  深田久弥の墓
 8月16日( 木 ) 「 お墓参り 」

 昨日はお盆(旧盆)でした。夕方久弥さんのお墓参りに行きました。大聖寺は新盆ですので、お寺の多くのお墓はお供えの花などありませんでした。
 この墓は昭和46年、久弥さんがお亡くなりになった翌年建立されたもので、大聖寺の本家の墓地の中にあります。久弥さんは、亡くなる前年、お墓参りのとき、ここから白山がよく眺められたので、私が亡くなったら、ここに墓を造ってほしい、と、言われたそうです。白山の見える方向には、今は樅の木が大きく育ち、見えませんが、お寺の山門からはよく眺められます。
 墓地のある寺は「本光寺」と申しまして、法華宗のお寺です。本山は京都の本能寺です。ただ、深田久弥家の菩提寺は、加賀市深田町の称名寺(浄土真宗)で、現在のお墓は、墓地を借りて建てられたそうです。

  富士写ヶ岳 2018.8.14
  加賀市二子塚町より
 8月15日( 水 ) 「 富士写ヶ岳 」

 今日はお盆(旧盆)です。昨日山の文化館の休館日でしたので、ちょっとドライブしてきました。親戚の家に立ち寄りましたが、その庭から富士写ヶ岳が眺められました。かなり実った稲田の向こうに、すっきりとしたその姿。
 深田久弥さんは、今から104年前の8月に、先輩に伴なわれて、この山に登り登山開眼をしたと云われます。
 そのときも、富士写ヶ岳は、このようにすっきりとした姿で聳えていたのでしょうか。
 まだ、猛暑の空の下に、その姿はたおやかでした。

 準備中の資料文献室
 8月13日( 月 ) 「 お知らせ 」

 「資料文献室開設式、開催のお知らせ」
 猛暑のまま、8月も半ばを迎えます。
館に新しい建物が出来ました。特に文献資料を中心に納める建物です。
 4月に完成し、準備を進めてきました。
 来る、8月22日(水)午前11:00から山の文化館で、開設式を行います。
 これからも、資料収集などに努め更に充実して行きたいと思います。

 アレチマツヨイグサ
 8月12日( 日 ) 「 夏の花 」

 まだ暑い日が続いています。
 田圃道の畔に、黄色い花が咲いていました。アレチマツヨイグサ(メマツヨイグサ)です。アカバナ科の一年草です。
 「待てど暮らせどこぬ人を よいまちぐさのやるせなさ」歌に歌われ、日本古来の植物のようですが、明治時代に観賞用に日本に持ち込まれた、アメリカ大陸原産の帰化植物です。
 観賞用に育てられていましたが、野性化し繁茂しています。月見草などと呼ばれ、秋の花のようですが、この仲間のオオマツヨイグサやアレチマツヨイグサは7月~8月に多く咲き夏の花といえます。
 荒地に自生する繁殖力の強いパイオニア植物の一つです。

  タカサゴユり
 8月11日( 土 ) 「 山の日 」

 今日は国民の祝日「山の日」です。
 ちょっと雲がありますが、山はどうでしょうか。白山には多くの登山者が登っているのでしょうか。
 田圃道の畔に、白い花を見ました。タカサゴユリ(高砂百合)です。
 ユリ科の多年草で、台湾原産の帰化植物です。
 何年くらい前でしょうか、この辺りの道路沿いに沢山咲くようになったのは。このごろは、ひところのように、大群落で咲くのが見られないようになりましたが、時々道の畔にひっそりと咲いています。美しいエトランゼです。

 サルスベリ
 8月10日( 金 ) 「 夏の花 」

 筆者の家の庭に、赤い花が今盛りと咲いています。サルスベリです。
 サルスベリは百日紅(ひゃくじつこう)とも呼びます。ミソハギ科の落葉高木で、7月から9月にかけて長い間花を咲かせます。百日紅とは100日も咲き続けるということからつけられたのでしよう。庭や公園によく植えられる樹木ですね。紅といいますが、白花もあります。
 筆者の庭のサルスベリは、家を建てた50年前、実家の庭に生えていた小木を植えたものでかなりの大木に育っていて、毎年鮮やかな花を咲かせます。
 サルスベリとは、幹がつるつるで、猿も滑って登れないだろうの意味だそうです。

 

 火星(8月2日撮影)
 8月4日( 土 ) 「 火星大接近 」

 今年7月31日に、約15年に一度の火星大接近でした。太陽の周りを回るのに地球は365日、火星は687日ですので、2年2ヶ月くらいで火星は地球に近づきます。火星の軌道は楕円形なので、近づいた距離も変わります。今回は地球と火星の距離は5759万km.だそうです(7月31日)。まだ今月いっぱい位は、大きく見えるそうです。
 次回の大接近は、2035年9月11日だそうで、今回より近く5690万km.だそうです。
 赤い火星の色からか、ローマ神話では「マールス」という戦いの神になっています。昔は、火星の大接近は災いをもたらすと信じられていたそうです。
 写真は、チャチなデジタルカメラで、しかも手取りでしたので、あまりよく映っていません。でも、火星独特の赤い色です。

 ヒルガオ
 8月3日( 金 ) 「 夏の花 」

 今日も猛暑日らしいですね。
 田圃道の端に、ピンクの可愛い花が沢山咲いていました。
 夏の野の花の代表、ヒルガオ(昼顔)です。ヒルガオは、北海道、本州、四国、九州など日本全国に分布する、蔓性のヒルガオ科の多年草です。真夏の野辺にはあまり花が見られないので、特別に目立つ美しい花です。
  高円の野邊の容花面影に 見えつつ妹は忘れかねつも  大伴家持

 稲穂が垂れる
 8月2日( 木 ) 「 実りの季節 近し 」

 今朝早く、近くの田圃道をウオーキングしました。
 まだ、8月に入って間もないのに、稲穂がかなり垂れ下がっていました。「実るほど、頭をたれる、稲穂かな」の風情です。
 暑い、暑いという内に秋がしずかに近づいているようです。実りの季節です。
 熱中症に気をつけ、もうしばらく猛暑に耐えてゆきましょう。

  辻まこと作、岳人の表紙
 8月1日( 水 ) 「 お知らせ 」

 今日から8月です。猛暑が続いています。ここ大聖寺ではもう20日以上雨が降りません。正に異常な夏です。
 さて、山の文化館の聴山房の、『 辻まことの世界 「秀山荘広告画文と『岳人』表紙絵」』展は、好評につき、今月24日まで延長展示いたします。
 1971年から1976年まで、山岳雑誌『岳人』の表紙を飾った、辻まことの、独特の雰囲気の絵、今から約40年前の登山の世界が思い出されます。
 懐かしい、「広告画文」と「表紙絵」ぜひご覧になって下さい。

   ミソハギ
 7月22日( 日 ) 「 夏の花 」

 毎日暑い日が続いています。
 山の文化館の前庭に、紫色の花が咲き始めました。ミソハギです。禊萩との漢字が当てられます。フトモモ目、ミソハギ科、ミソハギ属の多年草です。
 筆者の少年の頃、田圃の畦道でよく見た懐かしい野の花です。
 精霊花(しょうりょうばな)の別名もあり、お盆に供える花でもありました。紫の何か気品がある花ですね。

 アブラゼミ鳴く
 7月19日( 木 ) 「 セミ鳴く 」

 いよいよ最夏です。連日全国で凄い気温が記録されています。熱中症で多くの方々が亡くなられたとも伝えられています。
 今年は、梅雨明けが早く、暑くなってもセミ(蝉)の鳴き声が聞こえませんでしたが、先日から泣き声が聞こえてきました。今日、山の文化館の庭の桜の木で撮影に成功しました。昨日のNHKの気象予報士の方が話されていましたが、蝉の出現は地上の気温にあまり関係ないそうです。そう、今年は暑い夏が早めにきたので、蝉の鳴き声は遅く感じましたが、これが普通かもしれません。ジージーと蝉の鳴く暑い最夏です。

サラシナショウマ(更科升麻)

 クロクモソウ(黒雲草)
 7月14日( 土 ) 「 白山の花 」

 
 ヤマブキショウマ(山吹升麻)     ミヤマクロユリ(深山黒百合)

「サラシナショウマ(キンポウゲ科)ショウマと名がつく植物は多くあります。必ずしも同じ仲間ではありません。キンポウゲ科、バラ科、ユキノシタ科に同じショウマとつく植物があります。夏の終わり頃(平地では秋)白山の砂防新道では南竜分岐あたりでよく見られます。
「クロクモソウ(ユキノシタ科)」ちょっと変わった名ですね。白山の砂防新道でもよく見られますが、目立たない花です。
「ヤマブキショウマ(バラ科)」ショウマの名がつくバラ科の植物です。前述のサラシナショウマと同じところにも見られます。
「ミヤマクロユリ(ユリ科)」白山を代表する花です。石川県の郷土の花にも選ばれています。クロユリは発芽後約10年くらいもかかり、やっと花を開きます。最初の花は雌蕊が無い雄生花で実は結びません。花を咲かせたり実を結ぶには多くのエネルギーが必要なので、鱗茎が大きくなるまで頑張るのです。クロユリの花の匂いをかいでみて下さい。臭い匂いです。これは、ケブカクロバエという昆虫の好きな匂いです。このハエに花粉を運んでもらうためです。白山に登り花を眺め、花の性質、生き様を知り眺めると、その花と友達になったように親しく感じます。
 白山の花シリーズ、今回はこれで終了いたします。

 イワツメクサ(岩爪草)

  カライトソウ(唐糸草)
 7月13日( 金 ) 「 白山の花 」

 
   イワギキョウ(岩桔梗)           コイワカガミ(小岩鏡)

「イワツメクサ(ナデシコ科)」高山の岩場や砂礫地に咲く花です。白山では主に、室堂より上部に多く咲いています。
「カライトソウ(バラ科)」亜高山帯上部の草地に咲く花です。昔日本では、外国のものが良いとされてきました。唐から来た糸のように美しい花という意味です。
「イワギキョウ(キキョウ科)」名のとおり岩場に咲く桔梗です。紫色の高山植物を代表する花の一つです。
「コイワカガミ(イワウメ科)」小さな岩鏡で、鏡とは葉がツヤツヤしていることからつけられました。これも高山の花の代表の一つです。

   キヌガサソウ(絹笠草)

 クルマユリ(車百合)
 7月12日( 木 ) 「 白山の花 」

 
 アオノツガザクラ(青の栂桜))    イワイチョウ(岩銀杏)

「キヌガサソウ(ユリ科)」砂防新道の上部でよく見られます。大きく広げられた葉の中心に白い花が咲く、特徴のある草本です。昔の高貴な人にかざす絹笠に似ているという花です。
「クルマユリ(ユリ科)」白山の室堂付近で多く見られる艶やかな花です。葉の形状が昔の大八車の車輪のようだと名がついたそうです。
「アオノツガザクラ(ツツジ科)」ツガザクラはツツジ科の矮小潅木です。その仲間で白山に多いのがこの種です。ツガザクラは1年に数ミリしか成長できない木です。うっかり踏んだりしたら10年以上成長が止まります。大事にしたい植物です。
「イワイチョウ(ミツガシワ科)」高山の湿地に生える草本です。葉の形が銀杏の葉に似ていることからつけられた名です。秋には銀杏と同じように黄色くなり、秋の草紅葉の代表の一つです。

  コバイケイソウイ(小梅蕙草)

タテヤマウツボグサ(立山靫草)
 7月11日( 水 ) 「 白山の花 」

 
シナノキンバイ(信濃金梅))  シナノオトギリ(信濃弟切)

「コバイケイソウ(ユリ科)」山の花でも有名な花です。穂状に沢山の花を咲かせます。一つ一つの花をルーペで覗いて下さい。梅のような花です。
「タテヤマウツボグサ(シソ科)」平地に咲くウツボグサの高山種です。ウツボとは弓矢の矢を入れる容器のことです。
「シナノキンバイ(キンポウゲ科)」黄色い艶やかな花です。ただ、白山では最近少なくなってきています。
「シナノオトギリ(オトギリソウ科)」これも黄色い花です。オトギリソウには悲しい物語があります。昔、鷹匠の二つの家がありましたが、その両家は仲が悪かったのです。
 ところが、片方の家の弟と一方の家の娘が恋仲になり、弟は娘に鷹の傷を治す秘薬のことを話してしまったのです。それを知った弟の兄は怒って弟を切り殺してしまします。弟の血が流れたところから生えてきた草で、弟切草という名がついたとか、秘薬がこの草から作られたとか云われます。

 ミネウスユキソウ(峰薄雪草)

 ミヤマアキノキリンソウ(深山秋麒麟草)
 7月9日( 月 ) 「 白山の花 」

 
 ヨツバシオガマ(四葉塩竃)      ミヤマリンドウ(深山竜胆)
「ミネウスユキソウ(キク科)」ヨーロッパアルプスの名花エーデルワイスに近い仲間です。白山では数少ない貴重な草本です。砂防新道では別当谷の源頭あたりの岩の上に僅かに見られます。
「ミヤマアキノキリンソウ(キク科)」白山ではかなり多く見られる花です。
「ヨツバシオガマ(ゴマノハグサ科)」紅紫の美しい花です。白山の砂防新道では別当覗あたりから、室堂あたりまで多く見られます。「シオガマ」とは、「塩竃は浜で美しい」・・・「葉まで美しい」の意味だそうです。
「ミヤマリンドウ(リンドウ科)」高山帯の草地に咲く高貴な花です。

 チングルマ(稚児車)

 チングルマ(実)
 7月8日( 日 ) 「 白山の花 」

 梅雨末期の大雨で、全国で被害が出ているそうです。被害に遭われた方々にお見舞いいたします。今日も、白山の花を紹介いたします。
 
  ミヤマキンバイ(深山金梅)    ミヤマダイコンソウ(深山大根草)
「チングルマ(バラ科)」今日はバラ科の名花を紹介します。チングルマは高山の代表的な花で、草のようですが、木本です。名は実の形が稚児車(風車)に似ていることからつけられたそうです。
「ミヤマキンバイ(バラ科)」チングルマと同じ高山の裸地に咲く、これも高山植物の代表的な花ですね。イチゴに似た葉で後記のミヤマダイコンソウと見分けられます。
「ミヤマダイコンソウ(バラ科)」大根とはちょっと可愛そうな名ですね。ミヤマキンバイより花茎がやや高く、葉の形が丸っぽいのが特徴です。

    ヤマハハコ(山母子)

   ミソガワソウ(味噌川草)
 7月7日( 土 ) 「 白山の花 」

 今日は七夕です。天気が悪く織姫星、彦星は会えないかもしれませんね。
 白山の花の紹介を続けます。
 
 ミヤマホツツジ(深山穂躑躅)    ミヤマキンポウゲ(深山金鳳花)
「ヤマハハコ(キク科)」白い綿毛のような花です。白山では標高の比較的低いところから、高いところまで分布していて、よく見られる花です。
「ミソガワソウ(シソ科)」紫色の袋状の花をつけます。湿り気の多いところに群落をつくります。
「ミヤマホツツジ(ツツジ科)」白い可愛い花です。低山のホツツジの高山種です。白山では、亜高山帯上部から高山帯に広く分布しています。
「ミヤマキンポウゲ(キンポウゲ科)」平地のウマノアシガタの高山種ともいえる花です。ウマノアシガタは毒草として嫌われますが、ミヤマがつくと高貴な花に見えますね。黄色い美しい花で、白山では広い範囲で見れます。

  ソバナ(岨菜)

 ゴゼンタチバナ(御前橘)
 7月6日( 金 ) 「 白山の花 」

 これから、白山の砂防新道を登りながら花を見て行きましょう。
  
  タマガワホトトギス(玉川杜鵑)      リュウキンカ(立金花)
「ソバナ(キキヨウ科)」白山の砂防新道の登り始めから見られる花です。険阻な山奥にある菜という意味で、食用にもなったそうです。
「ゴゼンタチバナ(ミズキ科)」白山の御前ヶ峰からつけられたというので白山ゆかりの植物とも云えます。砂防新道でよく見られる可愛い花です。
「タマガワホトトギス(ユリ科)」京都の玉川でよく見られることからついた名だそうです。白山の砂防新道では中飯場から甚ノ助小屋の間あたりで多く見られます。
「リュウキンカ(キンポウゲ科)」夏も早い時期の水辺に咲く黄色い艶やかな花です。

  ハクサンタイゲキ(白山大戟)

  ハクサントリカブト(白山鳥兜)
7月5日( 木 ) 「 白山の花 」

 昨日は西山の白山高山植物園の花をちょっと紹介しました。今日は戻って、ハクサンを冠する花を更に紹介します。
 
 ハクサンイチゲ(白山一華)    ハクサンシャジン(白山沙参)
「ハクサンタイゲキ(トウダイグサ科)」ちょっと変わった花です。平地に咲くノウルシの高山種ともいわれ、ミヤマノウルシともいわれます。秋真っ赤になり、秋の草紅葉の代表的な草本です。
「ハクサントリカブト(キンポウゲ科)」白山の秋の代表的な花ですね。濃い紫の花は高貴な色ですが、猛毒でも知られますね。猛毒ですが薬草でもあります。
「ハクサンイチゲ(キンポウゲ科)」高山の花を代表する名花です。近年白山では少なくなり、砂防新道では、僅かしか見られない貴重な花です。
「ハクサンシャジン(キキョウ科)」秋、観光新道で多く見られます。平地のツリガネニンジンの高山種で、シャジンとは漢方薬の沙参からつけられたそうです。ツリガネ状の可愛い花です。 

 白山高山植物園より望む 白山

  ニッコウキスゲ(日光黄菅)
 7月4日( 水 ) 「 白山の花 」

 昨日は山の文化館の休館日ですので、白山市の西山の「白山高山植物園」に行ってきました。筆者は「石川県自然解説員」ですので、園を訪れた方々に、植物などのことを伝える業務として行ったのです。白山高山植物園は、約20年前から、白山の植物を守るために、標高約800mの西山で、種子などから白山に自生する植物を育て、やがて白山に戻すための活動です。現在、ハクサンコザクラ、シナノナデシコ、タカネナデシコ、タムラソウ、クサボタン、マルバダケブキ、オタカラコウ、イワギク、リュウノウギク、アカモノ、アサギリソウ、イブキジャコウソウ、イブキトラノオ、イワイチョウ、オオバギボウシ、オニシモツケ、カライトソウ、カラマツソウ、キリンソウ、クガイソウ、クルマユリ、シコタンソウ、シナノオトギリ、シモツケソウ、センジュガンピ、タカネアオヤギソウ、タカネバラ、タカネマツムシソウ、ミヤマオダマキ、ミヤマキンバイ、ミヤマキンポウゲ、ミヤマクワガタ、タテヤマウツボグサ、ニッコウキスゲ、ノウゴウイチゴ、jハイマツ、ハクサンシャジン、ミヤマダイモンジソウ、ムカゴトラノオ、ヤマハハコ、ヤマブキショウマ、ハクサンタイゲキ、ハクサンフウロ、ハナチダケサシ、ヤマホタルブクロ、ヨツバヒヨドリなどが栽培されています。昨日は、上記の植物の7割くらいの花が咲いていて壮観でした。
 
  タカネナデシコ(高嶺撫子)       シモツケソウ(下野草)
「ニッコウキスゲ(ユリ科)」高山(亜高山)の高原を彩るユリ科の多年草です。
「タカネナデシコ(ナデシコ科)」まさに高嶺に咲く撫子です。白山でも砂防新道でかなり多く見られますね。
「シモツケソウ(バラ科)」下野の国(栃木県)で発見された花という名です。ピンクの細かい花が集った艶やかな花ですね。

  ハクサンフウロ(白山風露)

  ハクサンシャクナゲ(白山石楠花)
 7月2日( 月 ) 「 白山の花 」 

 昨日の、白山夏山開きの日は曇り空ながらご来光も拝めたそうです。今日も、ハクサンの名を冠した花を中心に紹介しましょう。
 
 ハクサンチドリ(白山千鳥)        テガタチドリ(手形千鳥)
「ハクサンフウロ(フウロソウ科)」白山ではよく観られる開花の期間も長い花ですね。平地のゲンノショウコの仲間です。
「ハクサンシャクナゲ(ツツジ科)」白山の高山帯の代表的な木本の花です。
「ハクサンチドリ(ラン科)」高山植物の代表的な美しい花ですね。花の形がが千鳥に似ていることからつけられた名です。
「テガタチドリ(ラン科)」ハクサンチドリに似ていて間違えやすい花です。並べてみると違いが分かるので紹介しました。テガタチドリはハクサンチドリより多く、またやや遅い頃まで見られますので目につきます。

 ハクサンオオバコ(白山大葉子)

 ハクサンコザクラ(白山小桜)
 7月1日( 日 ) 「 白山の花 」

 今日7月1日は白山夏山開きです。今日から白山に咲く花を少し紹介しましょう。「ハクサン」を冠する植物は、標準和名でも19種あります。まず、その中から幾つかを紹介しましょう。
 
 ハクサンオミナエシ            ハクサンカメバヒキオコシ
   (白山女郎花)               (白山亀葉引起)

「ハクサンオオバコ(オオバコ科)」、美しい花ではありませんが、貴重な植物ですので最初に紹介しました。平地から人が運んだオオバコにより、絶滅が危惧されています。南竜ヶ馬場に自生しています。
「ハクサンコザクラ(サクラソウ科)」白山の高山帯に咲く美しい花です。雪田の雪が溶けるといっせいに芽吹き、群落を作り咲く様は、まさに天上の楽園です。
「ハクサンオミオナエシ(オミナエシ科)」黄色い綺麗な花です。白山の身近な登山道では観光新道で見られます。
「ハクサンカメバヒキオコシ(シソ科)」砂防新道を登り始めると最初に目にする花です。葉の形が亀の甲羅のようなのでつけられた名です。ヒキオコシは薬効があり、これを口にすると、倒れた人も起き上がるということからついたそうです。

  キャンプフアィヤーを囲んで
 6月27日( 水 ) 「 山の歌の集い 」

 昨日火曜日は山の文化館の休館日でした。そこで月曜日の夕方、山の文化館閉館後、「山の歌の集い」を行いました。会場は、山中温泉の奥、山の文化館から、約25Kmの「県民の森」です。夏休みに入ったら夜も大勢の人が来ますが、今は全く他の人の姿は無く、県民の森貸切です。ちゃんと、フアィヤーの用意は、県民の森のスタッフが作ってくれます。
 このごろ、山で歌を歌うと《ウルサイ》といって叱られます。
 山の歌を歌うチャンスがありません。そこで、昨年、同じ県民の森で「山の歌の集い」を行い好評でした。今年も、「深田久弥と山の文化を愛する会会員」を中心に、10名が集り、深田久弥訳詩の「いつかある日」など、多くの歌を歌いました。
 炎を囲んで、素晴らしい星空の下、昔、山で歌ったことを思い出しながら、一夜の夢の世界を満喫しました。

   宮之浦岳
 6月24日( 日 ) 「 読書会のお誘い 」

 来る6月26日(火)13:30より、恒例の読書会が、山の文化館にて行われます。
 これまで、深田久弥の作品を読み、いろいろなお話をしてきました。
 今回は『日本百名山』の「宮之浦岳」です。
 宮之浦岳は『日本百名山』100番目の山で、標高は1936m、九州の最高峰です。
 皆で、久弥さんの宮之浦岳を読み、愉しい語らいをしませんか。
 皆さん、誰でも参加できますので、お気軽においで下さい。

   椎茸のホダ木
 6月20日( 水 ) 「 椎茸 」

 山の文化館へ有志の方が、椎茸のホダ木を持ってきてくれました。昨年、菌を植えたナラの木です。
 早速、木陰に竹で棚を作り立てかけました。椎茸は日本で最も食べられている茸の一つです。色んな料理に使えます。近年はハウスの中で栽培しているので、年中食べられる茸です。また、干し椎茸も美味しいですね。
 今年の秋か、来年か、椎茸が出てくるのが愉しみです。
 深田久弥山の文化館は「深田久弥」と「山の文化」がテーマです。古来からの林業の世界も、「山の文化」のテーマですね。
 ホダ木の有様や出てきた椎茸も,来客に見てもらいたいですね。
 

   ギボウシ
 6月15日( 金 ) 「 初夏の花 」

 6月も半ばになりました。今日は、梅雨の感じの曇り空です。
 山の文化館の庭にギボウシ(擬宝珠)の花が咲きました。
 ギボウシはキジカクシ科リュウゼツラン亜科、ギボウシ属の多年草です。(キジカクシ科は、APG分類体系で、新エングラー体系、クロンキスト体系ではユリ科に属します)ギボウシの仲間は(ギボウシ属)、日本には20種ばかりが自生しています。日本海側にはトウビボウシが分布していて、これは観賞用に庭などに植えられているそうです。山の文化館のギボウシもこの種かもしれません。
 ギボウシは食用にもなり、東北地方では「ウルイ」と呼ぶそうです。ただ、新芽は毒草の「バイケイソウ」に似ているので注意しなければならないと、辞書にありました。
 名は、包葉に包まれた若い花序が擬宝珠に似ていることからつけられたそうです。
 大きく広い葉の上に咲く、美しい花です。

  大聖寺川 新川 赤い橋は宮前橋
 6月14日( 木 ) 「 大聖寺川新川 」

 今日は素晴らしい晴天です。青空の下で、大聖寺川がゆったりと流れていました。
 大聖寺川は、約350万年に生成した加賀市の最高峰「大日山」を源に、約2000万年前に生成した「富士写ヶ岳」などの山々の水を集め、、山中温泉~山代温泉~大聖寺・・・と流れ、日本海に注ぐ、延長38km.、流域面積209㎢の2級河川です。加賀市最大の川です。
 豊な水は野を潤し、古代から人々に恵みを与えてきました。しかし、川は時として荒々しい形相を見せ、特に大聖寺の町は水害に悩まされてもきました。長い時代人々は、河川の改修に頑張ってきました。写真は、大聖寺川新川です。昭和10年~20年にかけ、新しい川を掘り、水を直線で下流に流すようにしました。これがこの新川です。昭和40年代に完成した「我谷ダム」の完成もあり、大聖寺の水害はかなり少なくなりました。祖先の水との戦いの一つの記念の堀川です。

   ホタルブクロ
 6月13日( 水 ) 「 初夏の花 」

 ホタルブクロの花が咲きました。
 ホタルブクロ(蛍袋・火垂る袋)は、日本全土の山や乾燥した草原にじせいするキキョウ科ホタルブブクロ属の多年草です。
 蛍の出現する時期に咲くからとか、その花の中に蛍を入れて遊んだことからつけられた名だそうです。
 『火垂るの墓』という、悲しい物語があったことも思い出されます。

   ウツボグサ
 6月11日( 月 ) 「 初夏の花 」

 山の文化館の前庭に、紫色濃い花が咲きました。ウツボグサ(靫草)です。
 ウツボグサはシソ科の多年草です。東アジアの温帯に分布し、日当りの良い山野の草地に群生します。名は円筒形の花穂が弓矢を入れる靫に似ていることからつけられたそうです。
 花穂は薬用になり、夏枯草(かごそう)という日本薬局方にある生薬です。利尿、消炎作用があるそうです。
 美しい花ですね。

    観音山にて
 6月9日( 土 ) 「 観音山登山 」

 5月31日に紹介しました「錦城小学校ふるさとクラブ」の課外学習として、今日午前観音山に子供達と登ってきました。
 観音山は、大聖寺の南方に立つ、標高228mの山です。約1300年前、修験者が開いたという信仰の山です。山では、初夏の花が咲き、カモシカにも会いました。
 
   カモシカに会いました。            咲き始めたコアジサイ

  丸岡藩 砲台跡
 6月6日( 水 ) 「 丸岡藩 砲台跡 」

 昨日火曜日は、山の文化館の休館日でしたので、ちょっとお隣の福井県までドライブしました。
 越前松島の水族館の近くに、砲台跡があります。
 江戸時代末期、外国から開国を求められて情勢が緊迫していました。国を守るため、幕府は諸国に、沿岸の防備をはかるため、砲台の設置を命じました。
 丸岡藩でも、藩の日本海海岸に、急遽砲台を設置しました。
 嘉永5年(1852)のことです。ペリーが浦賀に来る1年前のことでした。
 この砲台が実際に使われることはありませんでしたが、まあ、これで外国の軍艦と戦えるとは思われないちゃちなものと思われます。
 ただ、当時の日本人が、とにかく必死になりこれを作ったと思うと、ある種の感慨を覚えます。

   展示風景
 6月2日( 土 ) 「 お知らせ 」

 今日6月2日より、山の文化館の聴山房で「辻まことの世界 展」が始まりました。
 辻まこと(1923~1975)は、日本の画家であり詩人です。文明批評的な特異な表現のイラスト画で有名です。特に、「秀山荘」の広告のイラスト絵や、山岳雑誌「岳人」の表紙で有名です。今回は、その、「岳人」の表紙や「秀山荘」のイラストを主題として、辻まことの文章も取り上げ展示しました。 
 山男にとって、一時代の山の雰囲気が懐かしく想い出させる企画展です。
 聴山房展は無料ですので、お気軽においで下さい。
 開催は6月25日までです。

   ふるさとクラブ勉強会
 5月31日( 木 ) 「 ふるさとクラブ活動開始 」

 今日で5月も終わります。明日から6月、夏到来です。
 そして、いよいよ山の文化館の行事の一つ「錦城小学校ふるさとクラブ」が始まりました。錦城小学校ふるさとクラブは、平成16年、「土曜クラブ」として、小学校の児童と地域の人たちとの交流により地域を知る機会に・・・と始まりました。山の文化館でも初回から子供達を受け入れ、深田久弥さんのことや、自然の素晴らしさを伝え、登山やサイクリングなどを行ってきました。
 今年で15回目です。5月28日、今年の第一回、「深田久弥さんを知ろう」とて、勉強会を行いました。子供達は、学校の校歌を作った(作詞した)深田久弥さん、小説家、登山家、俳人、ヒマラヤ研究家、シルクロード研究家など深田久弥さんの業績を知るとともに、大先輩の久弥さんを知り感動していました。

  ブナの雄花
 5月21日( 火 ) 「 熊餌調査 」

 筆者昨日熊餌調査に行ってきました。私の属する「石川県自然解説員研究会」は、石川県から委託され、熊の餌になる山の木の実の調査を10年くらい前から、毎年行ってきました。春の調査はコナラ、ミズナラ、ブナなどの着花状況の調査です。
 落花した雄花の数(指定面積)を数え、秋の実りを予測するのです。更に秋(8月終わり頃)には、実際の着果数を調べ、里に降りてくる熊を予想します。
 素晴らしい天気の中、里山を歩きました。
 
  ブナの林               調査地点(標高約550m)から望む大日山

   加佐ノ岬
 5月20日( 日 ) 「 加賀市の風景 」

 今朝、早々ドライブ&ウオーキングで橋立町付近の海岸に行きました。
 加賀市の塩屋から橋立辺りまでの海岸は「越前加賀海岸国定公園」に指定されている地域です。この中でも素晴らしい風景は写真の「加佐ノ岬」あたりかと思います。
 灯台と岩と多様な植物。植物では、早春にはユキワリソウといわれる「ミスミソウ」、今はノアザミが咲き乱れ、6月に入ると、花菖蒲の原種「ノハナショウブ」が咲き乱れます。灯台の下の岩床に至る間には、ハマエンドウ、ハマニガナ、ハマヒルガオ、ハマゴウ、ハマボッスなどの海浜植物が咲きます。
 加佐ノ岬からは海岸沿いに遊歩道もあります。これからの初夏は、多くの花が見られる季節です。

   ヤマボウシ
 5月19日( 土 ) 「 初夏の花 」

 今朝、大聖寺の街中を歩いていましたら、とある屋敷の庭に白い花を見つけました。ヤマボウシ(山法師)でした。ヤマボウシはミズキ科の落葉高木です。このあたりの山でも自生の花が見られますが、公園や庭にも植えられていますね。白い上品な花です。近い仲間にハナミズキがあります。よく街路樹として植えられています。ハナミズキは北アメリカ原産の外来種です。アメリカヤマボウシとも呼ばれます。見分け方は、ヤマボウシの花びら(総苞片)は先端が尖っていますが、ハナミズキの花びらの先端は丸くなっています。いずれも初夏を彩る美しい花ですね。

  ハマナス
 5月18日( 金 ) 「 初夏の花 」

 今朝、塩屋海岸へちょっとドライブしてきました。青い海を眺めてきました。
 海岸の駐車場の近くに、ハマナス(浜茄子・浜梨)の花が咲いていました。ハマナスは日本の太平洋側では北海道から茨城県まで、日本海側では鳥取県までの海岸に自生する、バラ科の落葉低木です。地下茎を伸ばし繁殖し、時には群落をつくります。果実は秋、赤く熟します。
 浜ナス・・・茄子と音読みしますが、浜梨・・・浜の梨・・・ハマナシから転化したのだろうといわれます。初夏を代表する浜辺の艶やかな花です。

   キショウブ
     
 5月17日( 木 ) 「 初夏の花 」

 大聖寺川の岸辺に黄色い花の群落を見ました。キショウブ(黄菖蒲)です。
 キショウブは、アヤメ科アヤメ属の多年草です。西アジアからヨーロッパが原産の帰化植物で、明治のころ観賞用に日本に入り栽培されていましたが、やがて日本全国の水辺に野生化して広がったといわれます。初夏を彩る美しい花です。
 ただ、環境省の「要注意外来生物」の一種と指定され、日本自然保護協会、日本野鳥の会、世界自然保護基金では、生態系に与える影響や侵略性が高い植物として注意を促しています。
 でも、美しい花ですね。慎重に管理して見つめて行きたいですね。

     シラン
   
 5月16日( 水 ) 「 初夏の花 」

 今日は30度を超えると、予報されました。真夏に近づいてきました。
 山の文化館の野草園に紫の花が咲き乱れています。シラン(紫蘭)です。
 シランはラン科、セッコク亜科、エビネ連、シラン属(APG分類体系)の宿根草です。
 本来日本で野生に自生していましたが、昨今は少なくなり、準絶滅危惧種に選定されているそうです。
 ただ、木陰でも陽のあたるところでも、乾燥地でも湿り気の多いところでも育ち、育てやすい種なので、人の手で育てられたものは、あちこちで見られます。
 濃い紫の花は、上品で美しいですね。

 大日山2018.5.11
 5月12日( 土 ) 「 山便り 」

 5月の半ばにさしかかってきました。昨日は素晴らしい天気でした。
 大聖寺の郊外から、白山始め周囲の山々がよく眺められました。
 写真は、加賀市上河崎地内から望む大日山です。標高1368m、加賀市の最高峰です。まだ少し雪の白い模様が見えます。
 大日山は、僅か1000m余りの標高の山ですが、ある意味では怖い山です。先日もちょっとした遭難騒ぎがありましたが、昭和42年1月、石川県山岳遭難史上最大の、かもしか山岳会パーテー6名全員死亡の遭難事故がありました。
 無積雪期は、穏やかな山ですが、積雪期はかなり厳しい山と変わります。
 さて、大日山の近況情報です。先日行ってきた人によりますと、頂上付近はカタクリが咲き始めているそうです。本峰と加賀兜の間の、加賀兜側の緩やかな斜面は「カタコガ原」と呼ばれています。カタコ=カタカゴはカタクリの古語で、カタクリの多く自生している原の意味です。大日山はカタクリの多い山です。今頃から、5月後半までがカタクリの花の季節です。
 登山路は、加賀市側は、旧真砂集落から、加賀兜を経由して行く「池洞登山路」と、小大日を経由して行く「徳助新道」があります。小松市側からは、小松市新保の奥から登るコースと、鈴ヶ岳を経由して行くコースがあります。
 福井県側からは、越前甲を経由して登るコースがあります。

  木ノ芽峠

 霧の中の峠の茶屋
 5月9日( 水 ) 「 深田久弥さんの作品の地を訪ねて 」

 深田久弥さんの作品に「日野山と木の芽峠」があります。福井中学の同窓会の出席したあと、志げ子夫人と、祖母の墓~味真野~日野山~木の芽峠・・・と歩いた紀行文です。その足跡を辿ろうと、山の文化館の有志が昨日の休館日を利用して行ってきました。13人が自動車3台に分乗して出かけました。まず、北陸自動車道路を今庄ICまで走り、365スキーの林道を車で登り、峠を訪ねました。峠の茶屋番所では茶屋の主の前川氏から貴重な話を伺いました。
 その後、武生(越前市)郊外の味真野の継体天皇の像のある公園~名刹「真宗出雲路派の大本山・毫摂寺」~祖母の墓のある西大味の「普願時・・・・と、深田久弥の文の順の反対廻りで、しかも深田久弥さんはほとんど徒歩でしたが、私達は全て車で楽な行程で巡りました。曇り空で、峠は霧につつまれていて、幽玄の世界でした。また、お昼は、越前名物の蕎麦を堪能しました。
 
 味真野の継体天皇像               毫摂寺

  山の文化館大イチョウ
 5月6日( 日 ) 「 緑の季節 」
 
 ゴールデンウイークも今日で終わりです。天気も今日までで、明日は雨と報じていました。山の文化館の樹々も若葉が広がり、命萌える風情です。
 春から夏へ季節は移ろい、爽やかな登山のシーズンです。
 緑や花を求め、若者もそうでない人も、森や、溪谷や、高みを目指すのでしょう。
 命の季節です。

 田植え始まる
 5月2日( 水 ) 「 田植え 」

 今朝、大聖寺河畔を歩いていますと、綺麗に均された水田に田植機が稼動していました。機械の力は凄いですね、あっという間に広い田圃一枚が、緑に変わります。
 筆者は農家で育ちましたので、勿論田植えもしました。
 当時は区画整理された田のの広さは200坪(約660㎡)でした。写真の水田の3~5分の1の広さですが、家族3人(田植えの出来る大人)で一日にせいぜい3~4枚植えるのが精一杯でした。田植えも、稲刈りも全て機械化され、仕事は楽になりましたが、機械を購入する金額が多く、機械倒れともいわれ、小さな農家は農業を続けられなくなりました。
 田植えの有様を見ながら、ふと思いました。

   白山雪形現れる
  
 4月30日(月) 「 晩春 」
 
 早いもので4月も今日で終わりです。
 昨日、今日は素晴らしい天気です。午後白山がくっきり望めました。
 白山の雪形も、現れ始めました。左方、鳥が羽根を広げたような黒い部分(雪が解けた部分)が「牛に乗った袈裟がけの坊さん」、山頂よりやや左手、四塚山の付近の白い(残った雪)縦長二つの部分が、右が「猿」左が「タバコ」です。

 ナルコユリ
 4月29日( 日 ) 「 晩春 」

 山の文化館の野草園に、白い可愛い花が咲きました。ナルコユリ(鳴子百合)です。
 ナルコユリハ、キジカクシ科、アマドコロ属の多年草です。
 同属のアマドコロと比べ、茎の断面が丸く、花と茎の間には短柄があるのが見分け方です。
 日本では本州から九州の山林の下に自生しています。
 ナルコユリの根茎は「黄精(おうせい)」と呼ばれ、古くから強壮、強精の生薬として用いられてきたそうです。
 茎の下に吊りさがった花は、鳴子のように見えますね。

   フジ(藤)満開
 4月28日( 土 ) 「 晩春 」

 山の文化館の近くの「江沼神社」のフジ(藤)が満開です。
 江沼神社は、江戸時代は藩邸の庭園でした。明治になり、ここに前田家の先祖といわれる菅原道真と初代藩主前田利治を祀った神社が建立され、江沼神社としました。境内には、重要文化財の長流亭や深田久弥の文学碑もあります。

 ウド芽吹く
 4月27日( 金 ) 「 晩春 」

 今日はちょっと肌寒い曇り空です。
 山の文化館の庭に、ウド(独活)が芽吹いてきました。ウドは、日本各地の山野に自生するウコギ科の多年草です。十数年前、会員の一人が、たぶん山から採ってきて植えたものです。初めは一本だったのですが、今は大きな株になり、写真のように沢山芽吹いてきます。
 山菜としても有名ですが、栽培されたものが八百屋で販売されていますね。全草真っ白なものもあります。白い部分が好まれるので太陽の光を当てずに育てたものです。「ウドの大木」といわれるように、成長すると人間の身長を超えるくらいになります。
 山の文化館では、山野草として観賞用に植えられたのですが、これくらい増えると、少しは食べてみたいですね。

 シャガ
 4月26日( 木 ) 「 晩春 」

 先日の月曜日まで晴天が続き、一昨日の火曜日、昨日の水曜日は雨、そして今日は青空です。雨と晴天が交互し、春も深まってきます。
 筆者の家の庭に、淡い紫の花が咲き始めました。シャガ(胡蝶花)です。シャガはアヤメ科、アヤメ属の多年草です。学名はJaponicaですが、中国原産の帰化植物です。山沿いや藪に群落をつくって咲き乱れています。
 ものの本によると、三倍体で種子は出来ないと書いてありましたが、筆者の庭のシャガは、近く置いたプランタンに生えてきましたから、種子でも増えると思われます。
 二倍体の種もあるそうですから、筆者の庭のシャガはそれかもしれません。
 山際に群生して咲くこの花は、まことに初夏を感じさせます。
 

  イチョウの雄花
 4月25日( 水 ) 「 晩春 」

 昨日は山の文化館の休館日でした。今日は朝から梅雨のような細かい雨が降っています。朝、山の文化館の扉を開けると、ウッドデッキの上に、写真のように小さい黄色い穂状のものが沢山落ちていました。山の文化館には、大イチョウをはじめ、3本の大きなイチョウの樹があります。大イチョウは雌株で、1本が雄株です。
 落ちていたのはイチョウの雄花です。毎年、受粉の終わるこの頃雄花が落ちてきます。山の文化館の風物詩の一つですね。
 イチョウは風媒花ですので、半径5km.に一本雄株があれば受粉するそうですが、雌株のすぐ傍に雄株が居るので、銀杏がより多く成るのでしょうか。

 トラクター活動
 4月21日( 土 ) 「 春爛漫 」

 「田起こし始まる」
 春です。米つくりもいよいよ始まります。米の字は八十八です。88回の工程がある、大変な仕事という意味でしょうか。
 春一番は、この田起こしと、苗代です。苗代は、もうすでに種まきが終わっているでしょう。稲を植える前準備には、この田起こし、畦塗り、田均しの作業が続きます。現在は田植えは機械がほとんどですが、以前は枠で苗を植える位置を決める作業もありました。この後、主なものでも、田植え、草取り、水管理、時には薬剤散布・・・と作業が続き、秋の稲刈り、脱穀、籾摺り、精米・・・で、お米になるのです。
 八十八の苦労で出来たお米は、感謝して食べなければいけませんね。

 カンムリカイツブリ
 4月20日( 金 ) 「 珍しい水鳥 」

 今朝、大聖寺河畔を歩いていましたら、川の水面に一羽の水鳥が泳いでいました。ちょっと見かけない鳥です。カメラに収め、図鑑で調べたところ「カンムリカイツブリ」と分かりました。
 カンムリカイツブリは体長が約56cm.と、日本では最大のカイツブリの仲間です。基本的には冬飛来する渡り鳥ですが、日本でも青森県の下北半島や琵琶湖で繁殖しているそうです。石川県では準絶滅危惧種になっている貴重な鳥です。
 この辺りで繁殖していると、ちょっと嬉しいですね。

 昨年の久弥祭 後方は富士写ヶ岳
 4月19日(木) 「 お知らせ 」

「第22回久弥祭」
 深田久弥さんを偲び行われてきた久弥祭、今回で22回を迎えます。
 来る4月22日(日)午前8時より、会場は、深田久弥さんが始めて登ったコース、枯淵登山道の登山口、九谷ダムのダムサイトの広場です。式典は、献花、献酒、献句、著作朗読がしめやかに行われます。式典後、富士写ヶ岳の登山が行われます。登山は参加者自由で、自己責任で登って下さい。山にはシャクナゲ初め多くの花々が咲いています。
 参加は申込み不要です。ご自由に参加下さい。
 連絡先は、石川県加賀市番場町18-2 深田久弥山の文化館
         Tel-0761-72-3313

 ギフチョウ
 4月18日( 水 ) 「 春爛漫 」

 昨日は山の文化館の休館日でしたので、近くの刈安山(547.7m)へ行ってきました。
 刈安山は、十数年前、山中町と合併する前は、加賀市の最高峰でした。山頂まで自動車で行けますので、気軽に自然を愉しめる山です。
 山は今雪がやっと解けたころですが、オオガメノキ、ショウジョウバカマ、ヤマブキ、モミジイチゴ、タムシバなどの花が咲き乱れ、ウグイスなどの野鳥もさえずり、ギフチョウが飛び交っていました。
 風も無く暖かで、のんびり山路を散策しました。


 マラソン風景
 4月16日( 月 ) 「 ニユース 」

 昨日加賀市では、加賀温泉郷マラソンが行われました。筆者もスタッフとして、フルマラソンのゴール手前5km地点にいました。4488名の方々が出場し、1位は石川県出身の方で、2時間29分42秒の成績だったそうです。沢山のランナーの中には、レースを頑張る人もいましたが、走るのを愉しむ人の方が多かったみたいで、仮装のスタイルの方々もいました。
 レーススタートの時は、雨もようでしたが、やがて雨も止み、それなりのコンディションだったと思われます。前日山の文化館においでになった方も走ってこられ、ハイタッチで応援しました。

   荻生の八重桜
 4月14日( 土 ) 「 春爛漫 」

 大聖寺川の下流の荻生という集落の近くの大聖寺川河畔に、筆者が勝手に名ずけた「荻生の一本桜」という桜の木があります。大きなヤエザクラ(八重桜)です。
 八重の桜は、天然の種ではなく、品種改良で生まれた種です。比較的遅く開花し、長く咲き続けます。
 荻生集落は、大聖寺町の成立(桃山時代)以前は、この一帯の中心的な集落でした。このあたりは「竹の浦」と呼ばれ、大聖寺川による水運や産業の中心地でした。
錦城山の頂にあったといわれる、大聖寺という寺院の門前の町でもあったと伝えられています。
 この一本桜が植えられたのは、そのような時代より後だと思いますが、昔栄えた地を見守るように、毎年美しく咲いています。

「富士写ヶ岳シャクナゲ情報」
 写真は、昨日4月13日に富士写ヶ岳の隣の火燈山で撮影したシャクナゲです。富士写ヶ岳のシャクナゲももう咲き始めているそうです。

    富士写ヶ岳 2018.4.12
 4月13日( 金 ) 「 富士写ヶ岳 」

 昨日の午後は素晴らしい天気でした。夕方用事で山代温泉の近くまで出かけました。江沼平野の彼方に富士写ヶ岳がすっくと立っていました。
 深田久弥さんが、11歳のとき、先輩に伴なわれ初めて登った山です。そのとき体力のあるのを誉められたことが登山の世界に入るきっかけだったといわれます。
 富士写ヶ岳はその姿が富士山に似ていることから付けられた名だそうです。春、ホンシャクナゲ(本石楠花)の花が多く咲く山でも有名ですね。登山路は、深田久弥さんが初めての登山の時の登りに使った「枯淵コース(五彩尾根)」「我谷コース」「大内コース」があります。大内~大内コース~不惑新道~火燈山~火燈古道~大内・・・の縦走コースも人気があります。

     イチョウ若葉芽吹く
 4月12日( 木 ) 「 春爛漫 」

 今日も素晴らしい青空です。
 山の文化館の大イチョウ(公孫樹)の梢の枝に、薄緑の若葉が芽吹いてきました。
 春ですね。山の文化館には、イチョウの樹が4本植えられています。文化館の正面の大イチョウは、推定樹齢650年といわれています。650年といえば、室町時代初期のころです。ここ、大聖寺町の成立は、今から400年余り前の桃山時代ですから、まだ町は出来ていません。山の文化館の敷地は、そのころ福田の庄の勢力圏にあり、このあたりは福田の神社の境内だった可能性があります。イチョウは神社や仏閣によく植えられましたから、650年も想定されますね。
 萌黄色の可愛い芽です。山笑う季節ですね。

      葉桜
 4月9日( 月 ) 「 春爛漫 」

 サクラの花が散り、もう葉桜の季節です。
 季節のめぐりは凄いですね。2月の中ごろのあの大雪が嘘のように、今野山は次第に緑に包まれてゆくのですね。
 生き物の命あふれる季節です。

  花吹雪
 4月8日( 日 ) 「 春爛漫 」

 サクラの季節もあっと言う間でした。
 花びらが風に舞い、路上を白く染めています。ソメイヨシノが散り、追っかけてヤエザクラが次の春爛漫を告げ、やがて山や野は緑に包まれるのですね。
 季節は、少しずつそして確実にうつろってゆきますね。
 

 白山と桜並木
 4月7日( 土 ) 「 花冷え 」

 今日は生憎の雨模様で、昨日より気温も10度ばかり低くなり、冬を思わすような寒さです。
 一昨日、午前11時ころから約1時間、東の空がすっきりと晴れ、白山の姿が望めました。
 大聖寺川の河畔に行き、今満開の桜並木と白山をカメラに収めました。
 桜の頃は、水蒸気が多く、白山がすっきり望めることは少ないのです。この日の午前中は気温が低く、水蒸気の発生が少なかったからでしょう。
 久しぶりの桜と白山のコラボの写真です。

 シダレザクラ
 4月5日( 木 ) 「 春爛漫 」

 今日も素晴らしい天気です。山の文化館の前の、大聖寺川畔のソメイヨシノが満開に咲き乱れています。山の文化館の庭のシダレザクラもほぼ満開です。
 例年なら、ソメイヨシノが散ったあとの、シダレザクラの花が開くのですが、今年は同時の開花でした。
 このシダレザクラは、今から15年前、平成15年に、深田久弥生誕100年の記念として植えられたものです。人の背くらいの苗木だった木は、現在5mを超えるほどの木に育ち、毎年紅の花を咲かせています。
 皆さん、花見を兼ねて山の文化館においで下さい。
 

  影絵の作品
 4月4日( 水 ) 「 お知らせ 」

 いつか4月です。桜の花も満開です。
 山の文化館、聴山房展は、フランス出身で、山代温泉在住の、アレキサンドル・ルロア氏の「 切り絵、影絵展『Prassing Shadows』 」が始まっています。
 暗い空間に浮かぶ、影絵の世界、幻想的な世界に誘われます。
 開催は、4月1日から4月30日までです。
 聴山房展は無料です。桜も見ごろです。皆さんお誘い合わせの上お気軽にご来館下さい。

 筆者、しばらく休んでおりましたので、ホームページアップ出来ませんでした。すみませんでした。

    ツクシ
 3月28日( 水 ) 「 春のたより 」

 素晴らしい快晴の日が続きます。春です。
 川原の土手に可愛いツクシ(土筆)を見つけました。子供の頃、ツクシの坊やと言いました。ツクシは、シダ植物門、トクサ綱、トクサ目、トクサ属のスギナという植物です。ツクシは、その胞子茎です。このツクシから胞子を飛ばし、子孫を残すのです。
 シダの仲間は、遙か昔の古生代(5億年~2億年前)に、この地球に繁茂していました。高さ数十mの巨木もあったそうです。現在燃料に使っている石炭もこの植物の炭化した化石です。その巨木の間を巨大な昆虫の先祖が飛び交っていたそうです。ロマンですね。
 スギナ(栄養茎)を乾燥したものは、「間荊」といって、利尿作用のある生薬として使われてきたそうです。
 ツクシの坊や。春を告げる可愛い植物です。
 

 ショウジョウバカマ
 3月26日( 月 ) 「 春のたより 」

 春ですね!
 山の文化館の前庭の山野草園に、薄紅色の花が咲いています。ショウジョウバカマ(猩々袴)です。ショウジョウバカマはユリ科ショウジョウバカマ属の多年草です。早春の山で最初に咲く花の一つです。北海道から九州の人里から高山まで広く分布する草本です。夏期は低山では3~4月ですが、高山では6~7月にも見られますね。
 名は、少女の袴ではありません。ショウジョウ(猩々)は、中国の伝説の動物であり、オランウータンのことでもあります。花の形が能の猩々の役の袴に似ていることから付いたといわれます。
 春一番の山の花です。

  サクラ咲く
 3月25日( 日 ) 「 春のたより 」

 今日も素晴らしい天気です。
 昨日東京ではサクラが満開と報じられていました。
 加賀市のソメイヨシノはまだ堅い蕾です。写真のサクラは、大聖寺川旧河川の畔に咲いていたものです。このサクラは、例年一番に咲きます。秋にも咲きますから、ちょっと変わった樹です。
 山の文化館の前の大聖寺川畔は、ソメイヨシノの並木になっています。たぶん4月の初めには見頃になると思います。皆さんサクラを観ながら山の文化館にもおいで下さい。

 オオイヌノフグリ
 3月24日( 土 ) 「 春のたより 」

 河畔でコバルト色の小さな花を見つけました。オオイヌノフグリです。
 オオイヌノフグリ(大犬の嚢)はゴマノハグサ科クワガタソウ属の草本です。田圃道などでよく見られますが、ヨーロッパ原産の帰化植物で、日本には1890年代に渡来したそうです。犬の睾丸とは、可愛そうな名がつけられています。
 花の形がそう見えることから付けられたといわれますが、4弁の可愛い花からは、そんなイメージはわきませませんね。

 白山 2018.3.18 AM
 3月18日( 日 ) 「 霊峰白山 」

 今日も素晴らしい天気です。今朝、大聖寺川河畔を歩いていますと、澄んだ空の彼方に、白山が望めました。
 朝日を受け、御前ヶ峰や、七倉山、四塚山のあたりの雪面が輝いて見えました。
 水分の山白山。あの白い雪がゆっくり溶け出し、やがて田や畑の農作物や、あらゆる生き物の命を育てるのですね。
 あまりにも神々しい姿に、思わず手を合わせました。

 ネコヤナギ 旧大聖寺川河畔にて
 3月17日( 土 ) 「 春のたより 」

 今朝は、風は冷たいながら素晴らしい青空です。
 山の文化館の近くの、大聖寺川の河畔に白い花芽の木を見ました。ネコヤナギ(猫柳)です。ネコヤナギは、ヤナギ科ヤナギ属の落葉低木です。北海道から九州まで、日本ほぼ全土で見られます。山間部の水辺から、街中の川辺など湿潤な環境に育ちます。ヤナギの仲間の中でも、早い時期に花を咲かすので、春を告げる花の一つに数えられていますね。雌雄異株です。銀白色の花の毛が、猫の尾に似ていることからつけられた名だそうです。花言葉は「自由」です。

 ミスミソウ
 3月15日( 木 ) 「 春のたより 」

 このところ暖かい春の陽気が続いています。野の草々も芽をふき、田圃やあぜ道もうっすらともえぎ色に染まってきました。
 深田久弥山の文化館の庭に、濃い紫の花を一輪見つけました。ミスミソウ(三角草)です。ミスミソウは、キンポウゲ目、キンポウゲ科、ミスミソウ属の多年草です。一般にこの花を「ユキワリソウ」と呼んでいますが、標準和名のユキワリソウはサクラソウ科の植物で、全く違う種です。
 また、ミスミソウに似た植物に、スハマソウがあります。よく似ていて見分けがつき難いです。見分け方は、葉の先端が尖っているのがミスミソウと図鑑に記されています。

 ヒメオドリコソウ
 3月14日( 水 ) 「 春のたより 」

 野辺に早咲きの草花が、花を開き始めました。
 川原の土手に、ピンクの可愛い花を見つけました。ヒメオドリコソウ(姫踊子草)です。ヒメオドリコソウは、シソ目、シソ科、オドリコソウ属の越年草です。ヨーロッパ原産の帰化植物で、明治時代に日本に渡来したそうですが、筆者の子供の頃はほとんど見られませんでした。田圃道で群落が見られるようになったのは、ここ20~30年ほど前だと思います。そう、田圃道に見られる草本のうち半分以上は帰化植物ですね。


    ヒドリガモ
 3月11日( 日 ) 「 北帰行 」

 春です。水辺の水鳥たちの旅立ちの季節が近づいてきました。
 大聖寺川の水辺に、幾群れかの鴨が浮かんでいました。ヒドリガモです。ひところに比べ、その数も少なくなっていました。北帰行です。もうそろそろ皆北に旅立つのでしょうね。
 ヒドリガモは比較的多く見られる冬鳥です。日本の越冬地では、内湾、湖沼、川などで暮らし、主に植物を食べています。海辺でも見られ、養殖の海苔も食べるそうです。雄はピユー・ピユーと鳴き、雌はグアー・グアーと鳴きます。

 フキノトウ
 3月10日( 土 ) 「 春のたより 」

 今朝、大聖寺川河畔を歩いていましたら、見つけました、春のたよりフキノトウ(蕗の薹)です。ほろにがい香りで、テンプラや味噌和えで、一番に春を味わう野の草です。
 フキノトウはフキ(蕗)の花です。フキは、キク科、キク亜科、フキ属の多年草です。花のフキノトウは雄花、と雌花があります。雌花はやがて大きく伸び、タンポポのような果実を風に乗せて飛ばします。
 春一番を告げる可愛い花ですね。

 ヒメリュウキンカ
 3月7日( 水 ) 「 春のたより 」

 あれだけ多く積もっていた雪も、ほとんど消えました。野原には、淡い緑の草々が芽生えてきました。大聖寺川の土手に、黄色い花を見つけました。
 ヒメリュウキンカ(姫立金花)です。例年ですと2月の半ばにも花が咲き始めますが、今年は大雪で、少し遅れての開花ですね。4月ころまで花が咲き続けます。
 ヒメリュウキンカは、イギリス原産のキンポウゲ科キンポウゲ属の草本です。
 白山など、このあたりの山地には、リュウキンカが自生しています。よく似ていますが、属が違う種です。
 春早く、太陽の陽を受け咲き乱れる、美しい花です。

 お雛様
 3月3日( 土 ) 「 雛祭り 」

 今日は3月3日、雛祭りです。雛祭りは「桃の節句」ともいいますね。女の子の健やかな成長や幸せを祈ったお祭りです。
 古代の中国で、「上巳(じょうみ・じょうし)」と呼ばれ、3月の最初の「巳」の日に、川で不浄を清め、宴を催していたのが、平安時代に日本に伝わり、そのころ宮中で行われていた「人形遊び」と結びつき、「流し雛」になっのが元で、江戸時代に、現在のようになっのだそうです。桃の節句といいますが、この季節は、桃の花はあまり咲きません。これは、本来旧暦の行事です。旧暦の3月は、約1ヵ月後、現在使われている太陽暦の4月頃です。その頃には、桃の花もよく見られますね。
 写真のお雛様は、深田久弥さんの弟さん弥之介さんの奥さん、民さんの作られた紙人形のお雛様です。当館にとっては貴重なお雛様で、毎年この季節になると、深田久弥さんや弟さんご夫妻を偲び、飾ってきました。

 久々の白山
 2月28日( 水 ) 「 素晴らしき白山 」

 今日で2月も終わりです。あっという間に、1年の6分の1が過ぎました。
 昨日は、久しぶりの快晴でした。白山が素晴らしく望まれました。
 ご覧のように、あの大雪も終わり、田圃の雪もほとんど無くなりました。
 もう春はそこまで来ています。

 資料文献室
 2月24日( 土 ) 「 資料文献室 」

 昨年12月棟上をした、資料文献室がほぼ完了しました。
 まだ、検査ばどが終わっていませんので、引渡しはまだですが、いよいよ展示などにかかります。
 今年の山の日、8月11日には、お披露目が出来るよう頑張りたいと思います。
 山の文化館の内容が、更にレベルアップすると思いますので、皆さん応援お願いいたします。

 さて、今月半ばから、ホームページ・ビルダーの調子が悪く、しばらくアップ出来ませんでした。申し訳ありません。これから、充実して行きたいと思います。宜しくお願いいたします。

 除雪 重機が活躍
 2月14日( 水 ) 「 駐車場の除雪完了 」

 今日は快晴です。大雪も峠を越えたと報じられています。
 町じゅうの除雪で重機が足らず、除雪が遅れていました。今日、山の文化館の駐車場の除雪もやっとできました。KOMATSUのペイローダが活躍、あっという間(1時間余り)で広い駐車スペースが確保されました。
 もう、ひどい雪は降らないそうです。道路も次第に除雪が進んでいます。
 皆さん、山の文化館へ、そして加賀市へおいで下さい。

  白山見ゆ
 2月10日( 土 ) 「 快晴 」

 長い間降り続いた雪も止み、2月8日はしばしの青空も見え、昨日2月9日は、雲一つ無い快晴になりました。
 山の文化館の2階の窓から、おぼろげながら白山が望めました。雪の積もった町の家並みの向こうに、白くたおやかな白山の姿。雪除けの合間の至福のひとときでした。

  青空に映える
 2月8日( 木 ) 「 久しぶりの青空 」

 大雪です。次々と降ってくる雪との戦いは今日で何日ですか?
 やっと寒波が和らぎ、久しぶりの青空です。山の文化館の推定樹齢650年といわれる大公孫樹の梢に、真っ白な雪が!屋根にもたっぷりの雪。
 青空に映え、何ともいえない美しさです。
 ああ、久しぶりの雪国の風情です。

 山の文化館 2018.2.7
 2月7日( 水 ) 「 大雪 」

 立春を過ぎてから到来した寒波。今回は福井県と石川県直撃の大雪です。
 1日に50センチメートを超える積雪の日もあり、福井では130センチメートルの積雪と報じられています。金沢は77センチとか。ここ山の文化館の在る加賀市も、約1mの積雪と思われます。まだ寒波は続くそうですので心配です。雪を除けても除けても、また降ってきます。昭和56年の大雪の記録を超えそうです。
 雪山やスキーの雪は良いものですが、こんなに多くは困ります。

 『山と溪谷』表紙絵展
 2月4日( 日 ) 「 お知らせ 」

 山の文化館「聴山房」では、2月~3月の企画展「『山と溪谷』表紙絵展」を昨日2月3日より開催しています。
 『山と溪谷』誌は、歴史のある、日本を代表する山岳雑誌です。表紙も素晴らしく、今回は昭和40年代の小林泰彦画伯の絵で飾られた表紙を展示すると共に、その年の出来事や深田久弥の著作や活動を重ねて表示しました。
 また、その頃に使われた山の道具も合わせて展示しました。
 昔の山の雰囲気を味わって下さい。
 開催期間は、2月3日~3月26日です。
  聴山房展の閲覧は無料ですので、皆さんお気軽にご来館下さい。

 サクラ 膨らむ蕾
 2月3日( 土 ) 「 早春譜 」

 今日は節分です。今日で寒が明け、明日は立春です。
 昨日は素晴らしい天気でしたので、あちこち歩いてきました。大聖寺河畔のサクラ(桜)の一枝に花の蕾を見つけました。
 このサクラは、秋にも少し花をつけました。ちょっと変り種の樹ですから、花の季節とは関係ないかも知れませんが、花の蕾を見ると、ちょっとうきうきした気分になりますね。

 イカル
 2月2日( 金 ) 「 青空に映えて 」

 今日は久しぶりに雲ひとつ無い青空です。
 イチョウの梢から「キィーコーキョロキー」とかん高い鳥の声が聞こえてきました。
 遠くからみたらウソのような雰囲気でした。写真を撮り拡大して見ましたら、イカル(鵤)でした。イカルはウソと同じアトリ科の鳥です。図鑑には北海道から本州の低地や山地で繁殖し、冬は平地や南の方に移動すると記されていました。
 嘴の黄色が目立つ美しい姿の小鳥で、泣き声も綺麗です。
 

  2017.1.31 資料文献室
 2月1日( 木 ) 「 資料文献室 」

 早いもので今年も1ヶ月が過ぎました。今日から2月、もう数日で立春です。 
昨年の10月25日に工事が始まった、深田久弥山の文化館の新資料館「資料文献室」は、順調に工事が進み、現在写真のように、昨日足場も取り外されました。
 これからは内装や棚などの工事が進められゆきます。
 すっきりとした外装のの建物になりましたね。

 大聖寺 錦城山から望む白山
 1月18日( 木 ) 「 お知らせ 」
 
 「 聞こう会開催について 」
 来る1月21日(日)午後1時30分より、山の文化館聴山房で、恒例の聞こう会が行われます。
 講師は、宮下幸夫氏、演題は「白山信仰と禅定道」です。
 宮下氏は、元小松市博物館館長で、現在、橋立自然公園園長をされています。また石川県自然解説員として、長年白山などの考古学の研究や自然の素晴らしさを伝え、自然保全の啓蒙活動をされてこられました。
 今回は、白山信仰などの考古学的な、貴重なお話が聞けると思います。皆様お誘い合わせの上ご来館下さい。
 尚、聴講は無料ですので、お気軽においで下さい。

 白山見ゆ
 1月15日( 月 ) 「 雪 一休み 」

 今日は1月15日。小正月です。
 一昨日まで、連日の雪の天気で、久方の大雪?となりました。
 昨日と今日は、雪雲も消えて青空も表れました。夕方帰り道で遙か東の彼方に、白山の姿が望めました。
 変わらず神々しい姿です。
 

 左義長 江沼神社にて
 1月14日( 日 ) 「 左義長 」

 今日はお正月の飾り物やお札を神社に持って行き、燃やしてきました。
 左義長です。左義長は、お正月に迎えた歳神を、小正月に炎と共に送り出す行事だそうです。厳密には、小正月は、1月15日ですが、近頃は、小正月に近い日曜日に行っていますね。筆者の子供の頃は、小学校の校庭でも、学校の行事として行っていました。このときは、正月に書いた書初めの紙を燃やしました。その灰が高く上がると、字が上手になると云って、囃しました。
 今年も、もう半月が過ぎようとしています。小正月の行事を終え、これから頑張って行かねばと思っています。

  雪が降る
 1月12日( 金 ) 「 大雪 」

 昨日から降り始めた雪が、昨夜の内にかなり積もりました。久しぶりの大雪です。
 風の吹き方によって違いはありますが、ここ大聖寺で30cm余りの積雪でしょう。
 今冬最高で、ここ3年ぶりの積雪です。今も降り続いていますので、今日、日中もう少し積もるみたいですね。筆者の子供の頃は、1月2月は常にこれくらい以上の積雪があり、根雪といいました。車の移動や除雪は大変ですが、頑張って雪と向かいます。

 除雪、頑張る

  今朝 雲間の白山
 1月7日( 日 ) 「 霊峰白山 」

 今朝は曇り空ながら穏やかな天気です。いつものように大聖寺河畔を歩いてきました。大聖寺川の畔の町並みの向こうに、雲が一瞬切れ、白山の姿が望めました。携帯していたカメラのシャッターを急いで切りました。
 少し昇った太陽の光を受け、白山は神々しく姿を現し、見る間に雲間に隠れました。 白山を眺められ、今日も良い日になりそうな気持ちになりました。
 

 うっすらの雪
 1月4日( 木 ) 「 雪化粧 」

 今朝はちょっと雪模様です。屋根や道路にうっすらの雪です。
 積雪1~2cm.?。これでも今冬最高の積雪です。東北地方や北海道では、今冬はかなりの大雪と聞いていますが、ここ大聖寺ではおかげさまで雪の少ない冬です。
 ただ、山の方はかなりの積雪で、スキー場は正月前からバンバン滑れるそうです。
 雪。真っ白い雪を見ながら、雪見酒もいいですね。帰ってから一拝愉しみましょう。 山の文化館は昨日から開館しています。皆さん大聖寺の雪化粧を見に来て下さい。

 白山モルゲンロート
 2018年1月3日( 水 ) 「 明けましておめでとうございます 」

 2018年、新しい年が明けました。明けましておめでとうございます。
 昨年は、深田久弥山の文化館が、開館15年を向かえ、スタッフ、会員そろって活動を進めてきました。新しい「資料文献室」の建築も進んでいます。本年は、新しく、充実した展示が出来ると、意気込んでいます。
 本年も、皆様の力強いご指導、ご支援の元、頑張り、深田久弥さんと山の文化の素晴らしさを伝えて行きたいと思います。宜しくお願いいたします。




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