キャンプ・ファイアー
 6月26日( 水 ) 「 山の歌 」

 昔、筆者の若い頃は、山の上で輪になって歌ったものです。どこかのグループが歌い始めると、他の登山者も輪の中に入り、山は若者の歌で賑やかでした。
 現在では、山で歌うと、ウルサイと叱られます。どこの山でも歌えばいいというわけではありませんが、ちょっと寂しいきがします。
 山の文化館の仲間は、数年前から、山中温泉の奥の「県民の森」で、山の歌を歌う会を行ってきました。
 県民の森では、キャンプ・ファイアーもセットしてくれます。
 一昨日、6月24日、県民の森はまだ最盛期前の静けさで、私達以外の人は誰もいなく、貸切の体でした。炎を囲み、「いつかある日」「山賊の歌」「シールハイル」など、懐かしい山の歌を合唱しました。ほのかにアルコールも入り、幻想的な世界に身をおきました。

 ギボウシ
 6月23日( 日 ) 「 初夏の花 」

 山の文化館の前庭に、今、白い花が咲き始めました。ギボウシ(擬宝珠)です。
 ギボウシは、ユリ科ギボウシ属の多年草です。(APG分類大系ではキジカクシ科、リュウゼツラン亜科)
 名は、建造物(橋など)の装飾の擬宝珠に若い花序の形が似ていることからつけられたそうです。日本ではオオバギボウシなど20種ほどが、主に山地の湿り気の多い処に生息しています。また、園芸品種として栽培されているものもあります。
 ウルイ、タキナなどと呼ばれ食用にもなっているそうです。

    スイレン
 6月20日( 木 ) 「 初夏の花 」

 中央公園を歩いていましたら、水辺に白い花を見つけました。スイレン(睡蓮)です。スイレンは、スイレン目、スイレン科スイレン属の水性多年草です。この属で日本における野生種にはヒツジグサ(未草)があります。初夏の日の未の刻(午後2時頃)花を開くのでこの名がつきました。日本におけるスイレンは、種々の野生種を交配して作られた品種だそうです。
 よく似た花を咲かすハス(蓮)は、ヤマモガシ目、ハス科、ハス属の多年草で、インド原産の帰化植物です。姿は似ていますが、かなり離れた種です。
 

 ストロベリームーン 19.6.17
 6月19日( 水 ) 「 ストロベリームーン 」

 一昨日の夜、月は満月でした。ストロベリームーンとテレビで報じていました。晴天でしたので、大きな月が見られました。早速カメラを向けました。
 ストロベリームーンは、6月の満月だそうです。アメリカの先住民のオジブワ族は、野生の樹の実や種子を採集して生活していて、その月に多く収穫される木や草の実を月の名に当てたそうで、6月はイチゴの収穫が多いのでストロベリームーンと呼んだというのです。赤い色といわれますが、夕暮れ近いときは赤くみえることがありますが、必ずしも赤にはならないそうです。

     ギンナン若実
 6月15日( 土 ) 「 実り・・・へ 」

 深田久弥山の文化館のシンボルツリーである、推定樹齢650年といわれるイチョウの樹は、雌株ですので毎年多くの実(ギンナン)を実らせます。
4月の終わり頃から 5月の初めに受精したギンナン(銀杏)の実が、今年も梢の葉の間に若々しい緑色の姿を見せています。
 まるで梅の実のような、丸あるい可愛い実です。この実が10月ころには黄色く熟し、美味しいギンナンになります。6月の曇り空のもと、青い宝石のようです。

 ニワゼキショウ
 6月14日( 金 ) 「 初夏の花 」

 今朝、錦城山の付近を歩いていますと、紅紫の小さな花を見つけました。
 ニワゼキショウ(庭石菖蒲)です。ニワゼキショウはアヤメ科の多年草で、明治中期に渡来した北アメリカ原産の帰化植物です。草丈10センチ余りの小さな草本で、あまり目立たない花です。日本各地の芝生地や道端に見られ、別名をナンキンアヤメというそうです。生命力のある草本で、人が踏みつける道で平気で生きています。

  渓流釣り
 6月13日( 木 ) 「 お知らせ 」

 「聞こう会開催について」
 来る6月16日(日)13:30より、恒例の山の文化館聞こう会が開催されます。
 講師は、柚本寿二氏で、演題は『渓を歩く・イワナ釣りのこと』です。
 柚本氏は長年登山を続けられ、『ほくりく日帰り山歩き』『白山に登ろう』『越前、若狭 魅力の日帰り40山』『白山山系とっておきの33山』など多くのの著書を現してこられました。
 今回は、その山(登山)の中でも、氏が特別の思いで続けられてきた、渓流釣りの世界のことをお話されます。聴講は無料ですので、皆さんお誘いあわせのうえご来場下さい。

   ホタルブクロ
 6月8日( 土 ) 「 初夏の花 」

 山の文化館の前庭にホタルブクロ(蛍袋・火垂る袋)の花が咲き始めました。
 ホタルブクロは日本全土の山や草原に自生するキキョウ科の多年草です。
 名は、この花の中に蛍を入れたことからつけられたそうです。


 ドクダミ
 6月7日( 金 ) 「 初夏の花 」

 白い可愛い花です。でもドクダミ(毒痛み)と聞くとちょっと嫌がる人もいますね。独特の匂いのせいでしょうか?
 本州、四国、九州、沖縄に分布するドクダミ科の多年草です。地下茎が長くはって群生します。白い花びらのように見えるのは総苞片です。中の棒状の花序に談黄色の小花が密生しています。
 生薬として、開花期の地上部を乾燥させたものは「十薬」とされ、日本薬局方に収録されている薬です。利尿作用、動脈硬化の予防に効くそうです。漢方では、解毒剤として使われているそうです。「十薬」とは、十種の薬効あるという意味で、薬草中の薬草という意味だそうです。
 繰り返します。白く可愛い花です。

 ウツボグサ
 6月6日( 木 ) 「 初夏の花 」

 山の文化館の野草園に紫色の花が咲き始めました。ウツボグサ(靫草)です。
 ウツボグサは東アジアの温帯域に分布するシソ科の多年草です。名は、円筒形の花穂が弓矢の矢を入れる靫(うつぼ)に形が似ているからつけられたそうです。
 花穂は花枯草(かごそう)という日本薬局方の生薬で、利尿、消炎作用があるそうです。

  ウツギ
 6月5日( 水 ) 「 初夏の花 」

 初夏の花といったら、ウツギ(空木)も代表の一つですね。「卯の花のにおう垣根に ホトトギス早も来啼き手て しのびねもらす 夏は来ぬ・・・・・」子供のころ歌った懐かしい歌です。
 昨日は山の文化館の休館日でしたので、近くの山道を歩きました。真っ白い房のようなウツギの花に感動しました。名は、漢字で空木と書くように、枝が中空になっているからだそうです。

 スイカズラ
 6月3日( 月 ) 「 初夏の花 」

 今日も素晴しい晴天です。今朝、家の近くの山沿いの道を歩いていますと、白い小さな花を見つけました。スイカズラ(吸い葛)です。北海道、本州、四国、九州など日本全土の山地や道端に生えている、スイカズラ科の常緑の蔓性木本です。
 吸い葛の名は、昔花をくわえて甘い蜜を吸ったことからつけられたといわれます。
 香りも甘くいいですね。
 蕾は金銀花(きんぎんか)という生薬がとれ、秋から冬の茎や葉から忍冬(にんとう)という生薬が採れます。抗菌作用や解熱作用があるそうです。
 初夏を代表する里山の花です。

  ヤマボウシ
 6月1日( 土 ) 「 初夏の花 」

 今日から6月です。夏です。素晴しい晴天の朝です。
 近くの公園を歩いていましたら、白い花を見つけました。ヤマボウシ(山法師)でした。
 タマボウシは、本州、九州、四国の山野に自生するミズキ科の落葉高木です。初夏を彩る花です。公園などにもありますが、このあたりの山でもよく見られます。
 似た花に、よく街路樹として見られるアメリカハナミズキがありますが、これは外来樹です。見分け方はヤマボウシの花びら(総苞片)の先は尖っていますが、ハナミズキの花びらの先は丸くなっています。いずれも美しい花ですね。

 白山 2019.5.30
 5月31日( 金 ) 「 白山 晩春 」

 今日は5月の最終日です。あと1ヶ月で白山の夏山開きです。
 昨日が素晴しい晴天で、白山がすっきりと眺められました。残雪もかなり少なくなりました。雪解けとともに草木が芽生え、次々と美しい花が咲きはじめるでしょう。
 花の名山白山。今年も多くの登山者が訪れるのでしょう。

   ミヤマリンドウ
 5月13日( 月 ) 「 お知らせ 」

 「聴山房展『真栄隆昭写真展「白山花ものがたり」』
 昨日12日から、山の文化館聴山房では写真展が開催されています。
 タイトルは「白山花ものがたり」です。
 白山は花の山です。ハクサンを冠した植物は標準和名のものでも19種、俗名を含めれば30種を超えます。
 恥ずかしながら真栄は筆者です。三十数年前から「石川県自然解説員」として白山で自然解説の業務を行ってきました。自然解説の内容は、植物、動物、地質、民族・・・など多様ですが、やはり植物・・・花・・・が中心ですね。その花の中から私が好きなものを選び展示しました。白山はもう1ヶ月もすれば花の季節を迎えます。白山に登る前に写真で花を想ってくださればありがたいです。
 写真展は6月30日まで開催しています。入場は無料ですのでお気軽にお出でください。

    霊峰白山
 5月3日( 金 ) 「 霊峰白山 」

 昨日、今日と素晴しい晴天です。
 ゴールデン・ウイーク後半は、好天が続くそうですね。昨日の午後、大聖寺新川の畔に出かけました。白山が素晴しく眺められました。雪も解けはじめ、雪形が見えるようになっていました。四塚山の下に、小さい白い雪形が「猿たばこ」、更に左にながれる稜線の下の、黒っぽい雪形が「牛に乗った袈裟がけの坊さん」です。

  イチョウの雄花
 5月2日( 木 ) 「 令和 」

 昨日から新元号「令和」が始まりました。
 新しい時代の始まりです。令和はどんな時代になるでしょう。しかし、自然の移ろいは変わりなく続き繰り返すでしょう。
 山の文化館のイチョウの雄株かた、穂状の雄花が沢山落ちてきました。もう、雌雄の受粉も終わり、秋には沢山のギンナンが実るのでしょう。
 今日は、久しぶりの青空です。ゴールデン・ウイークの後半は晴天が続きそうですね。

 山の文化館の大イチョウ
 4月29日( 月 ) 「 若葉の季節 」

 山笑う、新緑の季節ですね。10日ほど前は黒々としていた山の文化館の大イチョウの梢が、かすかな緑の葉芽が見えて数日、瞬く間に緑に包まれました。
 新緑。何ともいえない清々しい緑の色です。
 この木々の萌黄色に誘われ、山に向いましょう。
 山の文化館の庭にも、イチヨウなどの新緑と共に、ナルコユリやエビネの花も咲いています。天然の独活の芽吹いてきました。
 皆さん、山の文化館においで下さい。

 昨年の久弥祭
 4月27( 土 ) 「 お知らせ 」

 「久弥祭」
 明日、恒例の「久弥祭」が行われます。会場は、富士写ヶ岳枯淵登山口の九谷ダムの広場です。式典は、午前8時から始まり、約30分で終わります。
 深田久弥の初登山は富士写ヶ岳で、11歳のときでした。登路はこの枯淵ルートでした。久弥祭参加の皆様には、ささやかな記念品も用意しております。是非ご参加下さい。式典後、皆さんご自由に富士写ヶ岳にお登り下さい。シャクナゲが美しく咲いています。
 登山なされない方々は、「大聖寺の深田久弥ゆかりの地めぐり」の企画もあります。参加ご希望の方は、10:00までに、深田久弥山の文化館にお集まり下さい。

   加賀市中央公園の八重桜
 4月24日( 水 ) 「 桜便り 」

 昨日は山の文化館の休館日でしたので、加賀市中央公園にウオーキングに行きました。ソメイヨシノやシダレザクラはほぼ終わっていましたが、陸上競技場付近のヤエザクラ(八重桜)は今盛り、満開でした。素晴しい青空の下、真っ赤な花があでやかでした。
 桜のシーズンの最後を飾るヤエザクラです。

 加賀温泉郷マラソン トップ走者
 4月22日( 月 ) 「 マラソン 」

 昨日加賀市では、加賀温泉郷マラソンが行われました。5Km,10Km、フルマラソンに分かれて行われました。参加者は全体で6000名余り、フルマラソンでも4000名余りが走りました。天気は曇り空で気温も高くなく、風も弱くマラソン日和でした。
 筆者はラスト5Kmあたりの走路員として参加しました。写真はトップを競う二人のランナーです。11時10分ころトップが通過し、最終ランナー通過は午後2時15分ころでした。ラストは6時間も走り続け、トップの人よりラストの人達に高い声援が送られました。
 ちなみに、フルマラソンの総合成績トップは、2時間33分26秒でした。

   つばめ翔ぶ
 4月20日( 土 ) 「 春爛漫 」

 今日は素晴しい青空です。風も暖かです。今朝、大聖寺河畔を歩いていましたら、川面の上につばめ(燕)が飛んでいました。もう、南の国から渡って来たのですね。
 手持ちの小型カメラで追いましたが、翔ぶのが速くピントが定まらない写真になりました。
 でも、嬉しいですね。春爛漫、樹々の梢も萌黄色に染まり、命の萌える季節です。

     桜 満開
 4月12日( 金 ) 「 桜 満開 」

 今日も素晴しい天気です。
 山の文化館の庭のシダレ桜も満開です。この桜は、平成15年3月11日に、深田久弥生誕100年を記念して植えられた樹です。植えた時は1m余りの苗でしたが、今は7~8mに育ち、梢いっぱいに花を咲かせます。
 紅の色濃い花です、近くの大聖寺川の桜もまだ見ごろが続いています。皆さん、山の文化館に花見においで下さい。

  中央公園
 4月10日( 水 ) 「 桜 満開 」

 昨日は、山の文化館は休館日でした。天気が良いので加賀市中央公園に行きました。中央公園は加賀市の桜の名所の一つです。今、ソメイヨシノが満開でした。
 写真はアイリスの建物と中央広場の間の桜並木です。中央広場の東端には枝垂れ桜もあります。これはまだ3分咲きでした。陸上競技場の東の八重桜はまだまだ、あと1週間後でしょうか。
 まだしばらく花見が愉しめますね。
 

   桜満開
 4月8日( 月 ) 「 桜 満開 」

 4月1日、昨年より3日遅く開花した(金沢)桜(ソメイヨシノ)は、今満開です。
 深田久弥山の文化館の前の、大乗寺川河畔の桜並木も満開になりました。川下りの舟も、大勢の人達が乗り、川面からの桜並木を堪能していました。
 皆さん、素晴しい桜の花を観賞し、深田久弥の山の文化館にもご来館下さい。

 サクラ咲く
 4月3日( 水 ) 「 桜便り 」

 今日も寒い日です。今年はサクラの開花が早まるだろうと予想されてきましたが、3月後半に入り寒い日が続きましたので、開花も遅れ勝ちです。
 4月1日に金沢で開花が発表されました。平年より3日早く、昨年より3日遅いそうです。
 ここ大聖寺、山の文化館前の、大聖寺河畔のソメイヨシノは、現在写真のように、まあ開花でしょうか。開花から5~6日で満開になるそうですから、今度の日曜日あたりが見ごろでしょうか。
 もうすぐですね、春爛漫の季節は!

   作品 春の海
 3月28日( 木 ) 「 お知らせ 」

 「 小幡猛 水彩画展『早春の立山と北陸の海岸を彩る』 」
  深田久弥山の文化館「聴山房」では、来る4月1日(月)から、加賀市中島町在住の画家、小幡 猛 氏の水彩画展を開催します。小幡 氏の聴山房での絵画展は、3度目です。今回は立山連峰や日本海側の海岸の風景、花、海の生き物などが描かれた作品で、50号の大作数点も展示されます。
 水彩画独特の優しくやわらかい作品は、人の心を暖かくつつんでくれるようです。
 作品の展示は、4月30日までです。
 展示閲覧は無料ですので、皆さんお気軽にご来館下さい。

    ショウジョウバカマ
 3月20日( 水 ) 「 春ですね 」

 今日も晴天で暖かい春日和です。
 山の文化館の庭に、薄紫の花を見つけました。ショウジョウバカマ(猩々袴)です。
 ショウジョウバカマはメランチュウム科(以前はユリ科に分類されていました)の多年草です。垂直分布の範囲が広い植物で、平地に近い山地から高山帯まで分布します。春一番に咲く花の一つです。
 名は、少女の袴ではなく、能の演目の一つ、「猩々」の袴からつけられたと云われます。

 サクラ咲く
 3月16日( 土 ) 「 サクラの便り 」

 今日は冬を思わす寒い日です。でももう春ですね。
 サクラ(桜)の花が咲きました。大聖寺、新町。大聖寺川旧河川の畔、山口玄蕃首塚公園に植えられているサクラが八分咲きでした。
 このサクラの品種はわかりません。葉が花と同時に出ていますので、ヤマザクラ系統のものと思われます。
 今年は、サクラの開花が早いとテレビでも報じていました。あと10日後ころにはソメイヨシノの花もほころぶのではと・・・春爛漫を待っています。

 ツクシ
 3月15日( 金 ) 「 春ですね 」

 今朝町を歩いていましたら、通りの空き地に可愛い草を見つけました。
 ツクシ(土筆)です。
 筆者の子供のころは、つくしの坊やと言って、遊びに使いました。また、食用にもなりました。
 ツクシはシダの仲間で、この仲間は3~4億年前の、古生代に栄えた植物です。その頃は3~50mの樹高のこの仲間が、地球上に繁茂し、現在の石炭になったと聞きます。そんな目で、ツクシ(スギナ)を見ると、思いも深いですね。

 越前海岸雄島から望む
        白山と富士写ヶ岳
 3月10日( 日 ) 「 白山遠望 」

 昨日は素晴しい天気でした。春霞も少なく白山がよく眺められました。
 手前に海を配置した白山の姿を求めてあちこちを調べましたところ、越前海岸のあたりが良いのではと、以前越前松島に行きましたが、手前の海岸に大きな建造物(芝政)があり、風景としていまいちでした。それで、更に検討して雄島のあたりが良かろうと想定していました。昨日は滅多に無い撮影日和です。午後さっそく出かけました。
 かすかにもやっていましたが、何とか思いに近い撮影が出来ました。
 日本海の向こうに、白山と深田久弥の初めての登山の山、富士写ヶ岳が並んでいました。素晴しい風景でした。

    蛇峠山山頂の標識
 3月9日( 土 ) 「 蛇峠山 」

 深田久弥の最後に立った山頂はどこでしょう?一般には蛇峠山とされています。蛇峠山は、長野県下伊那郡阿智村と阿南町と平谷村の境に立つ標高1664mの山です。
 深田久弥は、友人の藤島敏男、川喜田壮太郎達5人で、昭和45年12月31日に東京を発ち、46年1月1日にこの山に登ったと伝えられます。
 先日、山の文化館のスタッフが、この山に登ってきました。治部坂峠から出発し、約2時間の行程でした。ただ、無積雪期は馬の背のゲートまで林道を自動車で行ければ、1時間ばかりで登れそうでした。また、山頂付近にはロボット雨量計や電波塔がありました。
 山頂付近の「のろし台」からは、南アルプスなど素晴しい眺望が楽しめました。

     ミスミソウ
 3月7日( 木 ) 「 春でーす 」

 山の文化館の庭に、またまた花を見つけました。紫色の小さな花です。一般にユキワリソウと呼ばれるミスミソウ(三角草)です。
 ミスミソウはキンポウゲ科の多年草です。昨日紹介したキクザキイチリンソウと同じように、スプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれます。
 いち早く咲くので、ユキワリソウと呼ばれるのでしょうが、他にユキワリソウと正式名があるサクラソウ科の植物がありますので気をつけたいですね。
 近い種にスハマソウという花があります。葉の形で見分けられます。

    キクザキイチリンソウ
 3月6日( 水 ) 「 春でーす 」

 今日は曇り空です。しかし風はほのかに暖かく春の気配です。
 山の文化館の庭にキクザキイチリンソウ(菊咲一輪草)が花を開きました。春です。キクザキイチリンソウはキクザキイチゲともいい,キンポウゲ科イチリンソウ属の草本です。落葉広葉樹の林の下で、まだ葉が開く前に花を開くスプリング・エフェメラルと呼ばれる、春一番に咲く花の一つです。山の文化館の花は白色ですが、紫系統の色の花が多いですね。
 

 ハコベ
 2月27日( 水 ) 「 春近し 」

 今日も暖かで春のような陽気です。
 今朝、田圃道を歩いていると、小さな白い花を見つけました。ハコベ(繁縷)です。
 ハコベはナデシコ科、ハコベ属の越年草で、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ・・・と、春の七草の一つです。
 ハコベは、民間的な生薬で利尿作用、浄血作用があるといわれます。筆者の子供のころは、飼っていた兎や小鳥の餌にもしていた、親しみ深い草でもありました。小さな花ですがよく見ると美しい、春を思わす花ですね。

  オオイヌノフグリ
 2月24日( 日 ) 「 春近し 」

 今日は素晴しい天気で、春のように暖かです。
 暖かさにつつまれ、山の文化館の庭にコバルト色の花を見つけました。オオイヌノフグリです。オオイヌノフグリは、ゴマノハグサ科クワガタソウ属のヨーロッパ原産の帰化植物です。日本に渡来したのは1890年代だそうで、筆者の子供のころから田圃道に普通に咲いていました。小さな春の妖精のような花です。
 春はもうすぐ近くまで来ているのですね。

 2019.2.19 20:30 満月
 2月20日( 水 ) 「 スーパームーン 」

 昨夜の月は今年で一番大きく見える、スーパームーンだったそうです。
 昨夜は曇りでしたが、午後8時30分ころ、一瞬雲が切れ、月が顔を出しました。
 月は地球の周りを回っていますが、その軌道はだ円です。そのため軌道で地球との距離が一番近い位置に来た時の月をスーパームーンと云うそうです。
 地球と月の距離は、最大40万6000km.最小35万7000km.だそうです。
 最長距離のときの月に対して最短距離の月は30%明るく見えるそうです。
 ただ、スーパームーンは天文学用語ではなく、占星術師の用語だそうです。昨夜の月は大きく見えたか、比べるものが無いのでよく分かりません。

     北前船
 2月14日( 木 ) 「 お知らせ 」

 「 聞こう会 」
 2月度の聞こう会が、2月17日(日)午後1時30分より山の文化館で行われます。
 講師は全国北前船研究会会長の藪下昇一氏で、演題は「白山信仰と北前船の航海」です。
 北前船は、江戸時代から明治にかけて大阪から北海道などに就航していた船で、日本海側の各地の港の産物を買い付け、あるいは販売し多くの収益を得ていた貿易船です。その航海と白山など航海の目印になった山々についてのお話をされます。
 聞こう会参加は無料ですので、皆さんお気軽においで下さい。

 フキノトウ
 2月13日( 水 ) 「 早春譜 」

 今日も寒い日です。あわ雪がチラチラと降っています。
 でも、春は着実に近づいています。山の文化館の裏庭にフキノトウ(蕗の薹)が芽吹いていました。フキノトウの傍にヒメオドリコソウの芽も出ていました。
 春近き・・・ですね。

  今朝 雪景色
 2月10日( 日 ) 「 雪景色 」

 今朝起きてみたら、周囲は僅かに白くなっていました。
 今冬2~3回目の積雪です。まあ、積もったとはいえない雪です。
 山の文化館の前庭のウッドデッキのうえが、僅かに白くなっています。
 ささやかな雪景色です。
 テレビの天気予報は、北海道や関東に大雪の恐れと伝えていました。
 昨年の今頃は、大雪で大変でしたが、今冬はおだやかです。
 皆さん、ほのかな雪景色を見に、山の文化館にお出で下さい。

  『深田久弥 山の文学全集』
     作品名総索引
 2月8日( 金 ) 「 お知らせ 」

 「 『深田久弥 山の文学全集』作品名総索引集 」
 深田久弥の山の文学は、彼の死後まとめられ 『深田久弥 山の文学全集」として昭和49年(1974)4月21日第一巻~昭和50年2月21日第十二巻が、朝日新聞から刊行されました。深田久弥の山の文学の集大成です。
 第一巻は、『わが山山』第二巻は『山頂山麓』~第十二巻『九山山房夜話』というように、まとめられています。
 山の文化館では、ここに収められたすべての文章のタイトルを、あいうえお順に検索できるように「 『深田久弥 山の文学全集』作品総索引集 」を作成しました。これにより、深田久弥の山の文学が、全集のどの巻のどのページに記載されているか、一目で分かるようになりました。
 この冊子は、山の文化館に供えてありますので、深田久弥の作品を閲覧する手引に使って頂きたいと思います。
 皆さん、是非ご来館いただき、ご覧下さい。

      『世界百名山』
 2月6日( 水 ) 「 深田久弥の足跡ー30 」

 「 絶筆 世界百名山 」
 深田久弥の最後に書かれた作品は何かというと、それはなかなか難しいのですが、一般的には『世界百名山』といわれます。「世界百名山」は、山岳雑誌『岳人』の、1970年1月号から掲載が始まり、1971年3月21日、深田が茅ヶ岳亡くなり、『岳人』同年4月号まで41座が掲載され中断された作品です。
 その後、新潮社から、1974年、1番目の「コーカサスのカズベク」から、41番目のペルーアンデスのワスカラン」までと、更に「エベレスト」「カンチェンジュンガ」「マナスル」の3座、いずれは入るだろうと予ての『ヒマラヤの高峰』の文章で添付さら、『世界百名山』として発刊されました。この、『世界百名山』が最後まで100書き上げられていたら、世界的名著として讃えられたでしょう。残念です。
 さて、深田久弥に前にも、「世界百名山」は選ばれています。ジェームス・ラムジー・アルマンです。深田久弥は以前彼とも会っていて、彼を尊敬していると、「世界百名山」の序文に書いていますが、また「アルマンの選んだ山について全部は同意しない、アルマンの時代では、まだ知られていない名山があるから」と記しています。
 『岳人』の41座には、まだ日本の山は入っていません。その後日本の山は選ばれたのでしょうか。アルマンの選には、富士山が選ばれています。

 「深田久弥の足跡」 No30をもっていったん終わらせていただきます。長日間有難うございました。
 

 『日本百名山』英訳版
 2月4日( 月 ) 「 深田久弥の足跡ー29 」

 「 『日本百名山』英訳版 」

 2015年1月、『日本百名山』の英訳版が発刊されました。
 翻訳されたのは、イギリス人でスイスの国際決済銀行に勤務されている、登山愛好家マーティン・フッド氏です。フッド氏は、1982年から2年間、京都外語大学に留学の際、白山など多くの山を登り、日本の山に魅了され、そんな名か『日本百名山』を、知ったのだそうです。翻訳のきっかけは、友人で福井県の仁愛女子大学の准教授で福井山岳会会員でもあった、山田春美氏に、まず手始めに翻訳した「白山」を見せた所、百名山全部を翻訳したらと促され、約10年かけて翻訳されたそうです。翻訳の後、深田久弥の長男森太郎氏の了解も受け、国内外の出版社に持ち込みましたが、反応は思わしくありませんでした。その後、ブログの書き込みを目にした、アメリカの研究者が「ハワイ大学出版局」に紹介してくれたのだそうです。
 ハワイ大学出版局では、「人類学、宗教学、地理学を学術適に網羅する『日本百名山』が素晴しい訳で現されている・・・と、評価し出版されるようになったそうです。
 『日本百名山』が、英語圏の人々にも読まれるようになったのは、素晴しいことですね。更に、マーティン・フッド氏と春美氏は、その後めでたくご結婚されました。おめでとうございます。

  山川勇一郎と深田久弥
     笠ヶ岳にて
 2月3日( 日・節分 ) 「 深田久弥の足跡ー28 」

 「 山川勇一郎 」
 山川勇一郎は、深田久弥と親しい友人の一人です。昭和33年のヒマラヤ遠征隊(ジュガール・ヒマール探査隊)のメンバーです。
 山川勇一郎は、明治42年、神戸市で生まれ昭和9年、東京美術学校洋画科を卒業した、一水会、日本山岳画家協会会員の画家です。
 山川の曽祖父は150石の大聖寺藩士でした。祖父山川勇木は日本銀行総支配人をした銀行家で、日露戦争の資金調達に活躍した人です。父鱗一郎は、九州帝国大学教授の造船学者でロ号潜水艦の設計者です。深田との出会いはかなり劇的です。深田久弥の著書『日本アルプス』の「乗鞍岳」には「冷泉まで行くと、小屋の前で一人の青年がスキーの練習をしていた。それが山川勇一郎君だった。・・・まだ美校在学中であった。・・・翌日、快晴に恵まれて私達は乗鞍岳の山頂に立った。・・・眺めは素晴しかった。・・・同じく孤高を誇っているものに白山があった。それは神々しいほどの美しさで、遠く雲の上に浮かんでいた。その白山に見惚れていると、傍らの山川君が「僕の故郷はあの山の裏ですよ」と言った。山の向こう側なら私の故郷でもあるので「どこですか加賀?能登?」「加賀です」「加賀のどこ?」「大聖寺という町です」昭和9年12月のことでした。それ以来、深田と山川は親友として交流し、後のジュガール・ヒマールにつながるのです。

 

          
     『日本百名山』表紙と蔵書票
 2月2日( 土 ) 「 深田久弥の足跡ー27 」

 「 蔵書票と日本百名山表紙 」
 1964年に新潮社から発刊された『日本百名山』の本体の表紙はシンプルで、グレーの表紙の真ん中に、小さな木版画が貼付されています。
 1957年8月、東京外国語大学の山岳部長をしていた串田孫一を中心に『マインベルク』が出され、その7ヵ月後、創文社から山の雑誌を出したいと串田に依頼があり、マインベルクを発展的に誕生したのが『アルプ』でした。『マインベルク』の第3号「ヤコブの梯子」で「雪山遠望」という大谷一良の木版画が使われていました。『マインベルク』や『アルプ』に幾つか寄稿していた深田久弥はこの版画
が気に入り、大谷に「九山山房」の蔵書票依頼したのです。蔵書票は「雪山遠望」の版画の下に「九山山房」の文字が入れられたいます。
 このデザインが『日本百名山』の表紙にも使われたのです。
 深田と親交のあった中野重治は、著書『本とつきあう法』の中で「重くて場所をとる本を出来るだけ少なくするために、本という本の箱やカバーを捨てたが、さすがに例外は出る。深田久弥の『日本百名山』には表紙に一寸四分に二寸四分くらいの絵がはってある。これが箱でにはってなくてよかった。ちょっと箱が捨てにくいだろう」と書いている。
 蔵書票の張られた深田久弥の蔵書はなかなか手に入れがたい、山の文化館にはこの一冊があり、現在展示されています。

 勝尾金弥著『山に登ろう。いろんな山へ』
 2月1日( 金 ) 「 深田久弥の足跡ー26 」

 「 深田久弥と児童文学 」
 深田久弥は小説家であり山の文学者であることは、広く知られていますが、彼の児童文学や教科書に取り入れられている文章を書いていることは、あまり知られていません。平成24年、愛知県立大学、梅花女子大学教授を歴任された勝尾金弥氏が『山に登ろう。いろんな山へ』を上梓されました。サブタイトルに「子どもたちへの深田久弥のメッセージ」とあるように、この本の内容は、深田久弥の児童文学のついてのものでした。
 深田は、多くの少年少女向けの作品を書いていますし、教科書にも多く使われています。
 勝尾氏の著書から、ごく一部を紹介しましょう。
「村の子供ら」新潮社『新日本少年少女文庫第13編』昭和15年。
「少年部隊」初出『少年倶楽部』昭和16年。
「おとめだより」初出『日本少女』昭和17年。
「山の少年」新潮社『新日本少年少女文庫』昭和17年。
教科書に取り上げられた作品。
「呼ぶ山」『新選中等国文』(戦前)
「旅情」秀英出版『私たちの国語二上』昭和24年。
「地図を見ながら」冨山房『新生国語読本一上』昭和24年。
「テント生活の一日」日本書籍『国語生活・中学国語科用』昭和26年。
「大河原峠」教育図書『国語・中学用二』昭和33年。
「親不知・子不知」学校図書『中学校国語三』昭和31年。
 などなど、深田久弥は厖大な少年少女向けの作品を上梓しています。
 いつだったか、「中谷宇吉郎は教科書に載ったが、深田久弥は教科書に載っていないから、駄目だ」と言った人がいました。教科書に載る載らないで、その人物を評価するのも変ですが、深田久弥は立派な児童文学を現しているのです。

    石川県立保育専門学園の校庭に
          設置された歌碑


      講堂に掲げられた歌詞

      学園歌を歌う 学生達
 1月31日( 木 ) 「 深田久弥の足跡ー25 」

 「 歌 」
 深田久弥は、昨日紹介した「もしか或る日」の他にも多くの歌を作詞しています。
 昭和14年国民歌謡としてJOAKで放送された「ヒュッテの夜」があります。「雪の青さを透かす窓、湯気に凍った華(はな)ガラス、ぬくめた指で字をかけば、そこから溶けて跡もなく、耳を澄ませば遠方(おちかた)に、鳴るもののあり心かよ」作曲は高木東六で、軍事的な歌が多くなりつつあったこの時代に、このロマンチックな歌は多くの人達に愛唱されたそうです。
 また、深田は多くの学校の校歌を作詞しています。昭和18年には母校錦城小学校、戦後、昭和27年に錦城中学校、昭和30年に南郷小学校、昭和40年に大聖寺実業高校と出身地の学校の校歌を作詞します。変わったところでは、能登の中島中学校、豊川中学校。これは戦中の部下で、俳句でも交流を続けていた方々が能登にいたからでしょう。また、石川県保育専門学園の校歌も作詞しています。「麗しき山なみみえて、いずみの学びの園に、若々し歌声あがる、望みみつ胸もおほらに、眉清き乙女ら集い、讃へなむこの若き日を」。深田は金沢在住時代、ひと時この保育専門学園の非常勤講師をしています。作詞は昭和44年ですが、たぶんこの縁で作詞を依頼されたのでしょう。保育専門学園講師のときには、授業の始まる前と終わりに、シューベルトとウエルナーの「野ばら」を合唱したというエピソードが伝えられています。教壇に立つのは初めてだった深田は、歌を歌うことで、生徒達との雰囲気を和らげたのでしよう。
 この学園歌は、現在も歌い続けられています。昨年10月、この学園祭に招待され、山の文化館のスタッフが訪ねました。学園祭で若い学生が高らかに歌っていて、感慨でした。

 「もしか或る日」の完訳を掲載した
    『岳人』1957年11月号
 1月30日( 水 ) 「 深田久弥の足跡ー24 」

 「 もしか或る日 」
 昔は、山でよく歌を歌いました。現在は歌ったりすると「うるさい」と叱られます。悲しい世の中になりました。それらの歌の中に「いつかある日」という歌がありました。「いつかある日山で死んだら・古い山の友よ伝えてくれ」何ともセンチメンタルな歌でしたが、若いロマンチストの山屋にはたまらない歌でした。深田久弥訳詩となっていました。
 「いつかある日」の元の詩は、フランスの登山家「ロジェ・デュプラ」のものです。彼は、1951年、フランス第3次ヒマラヤ隊、ナンダ・デビィ縦走の途、遭難死しますが、彼が残した赤い手帳に書き残されていた詩です。この詩を深田久弥が1956年『山と高原』4月号「ヒマラヤの墓碑銘」のなかで部分訳詩し、更に『岳人』1957年11月号で全訳を掲載します。「もしか或る日山で死んだら・古い山友達のお前にだ・この書置きを残すのは・おふくろに会いに行ってくれ・そして言ってくれ・おれはしあわせに死んだと・・・・・」題は「もしか或る日」で、今歌われている歌の歌詞と少し違います。
 今の歌は、1958年、西前四郎が、深田訳を編詩、作曲し、1959年に『女性自身』に掲載したものです。西前の歌詞の題は、深田訳と同じ「もしか或る日」でしたが、何故か女性自身には「いつかある日」と変えられていました。「もしか」と「いつか」はかなり意味が違いますね。
 深田久弥訳の詩は、井上靖が『氷壁』の中に導入したことでも、有名ですね。

     江沼神社境内の 文学碑
 1月28日( 月 ) 「 深田久弥の足跡ー23 」

 「 文学碑 」
 深田久弥の文学碑は、山の文化館の近くの、江沼神社の境内にあります。文学碑は深田の亡くなった3年後、1974年(昭和49年)に有志により建立されました。碑には「山の茜(あかね)を顧(かえり)みて 一つの山を終わりけり 何の俘(とりこ)のわが心 早も急(せ)かるる次の山」と記された陶板が、開かれた本の形造られた石碑の、向って右のページにはめ込まれています。詩は、1967年11月、新潟県北魚沼郡小出町に、前年のシルクロード探査行の報告講演会と未丈ヶ岳登山のため訪れたとき、小出町の清水川辺神社の社務所「こまいぬ荘」で、宮司に求められ書いたものだそうです。
 碑の設計は深田の友人の建築家であり俳人の、加倉井秋を(昭夫)氏(俳誌「冬草」主宰)で、深田の親戚の福井県三國町の小森石材が製作しました。四行詩の陶板は、深田と交流のあった、大聖寺在住の陶芸家、滝口加全氏が製作しました。
 碑の前に設置された「花台」は、北陸地方にのみ発掘されている古代の「御物石器」を模したものです。
 江沼神社は、明治10年、大聖寺藩旧藩邸庭園が、初代藩主利治と菅原道真を祀り神社となったもので、境内にある「長流亭」は国指定の重要文化財です。
 1974年3月、この除幕式に、筆者も参列しました。物凄い強風の日だったことを思い出します。
 

 本光寺の深田久弥の墓
 1月27日( 日 ) 「 深田久弥の足跡ー22 」

 「 墓碑銘 」
 大聖寺の観光スポットである山の下寺院群の一番北に、法華宗、本光寺があります。ここに深田久弥の墓があります。この墓石の側面に「読み、歩き、書いた」という墓碑銘が刻まれています。多くの文献書籍を集めて読み、多くの山々やヒマラヤ、シルクロードなどに赴き、その体験を元に文章を書いた人。正に深田久弥の人生を現した墓碑銘です。しかしこの内容は、深田の人生を現しただけではないといわれています。深田はフランスの文学者スタンダールを敬愛していました。スタンダールの多くの作品を原語で読んでいたそうですが、特に『パルムの僧院』が大好きで、戦時中や新潟疎開の時代、原語版を何度も読み返していたそうです。
 スタンダールの墓碑銘は「アルリゴ・ベール・ミラノ人・生きた・書いた・愛した」です。深田の墓碑銘もこれに似せて作られたそうです。
 深田の墓は、本家の墓地の中にあります。深田は、死の前年、本家の墓に参ったとき、寺から白山が良く眺められることで、私が死んだらここに墓を建ててほしいと言ったそうです。本光寺の山門からは、白山が気高く美しく眺められます。

 1971年『シルクロードの旅』
 1月26日( 土 ) 「 深田久弥の足跡ー21 」

 「 シルクロード 」
 深田久弥は晩年、中央アジアに情熱を燃やしました。シルクロードは、スタインが幻の都ローランやさ迷える湖ロプノールを発見し、日本でも大谷探検隊の活躍が歴史に残っています。深田は、そのような未知の地域に夢をはせ、1966年、自らが隊長となり、東洋学者、長沢和俊、朝日新聞の記者、高木正孝、カメラマン、関沢安治、朝日テレビの吉川尚郎などの人々とシルクロード踏査隊を編成しその地の赴きます。
 ソビエト(当時)から、ヨーロッパ大陸を横断し、トルキスタン、トルコ、シリア、イラン、アフガニスタンを経由しインドに至る地域を踏査しました。
 この、探査行の記録や研究著書は、1968年刊行の、副隊長長沢和俊との共著『シルクロード・過去と現在』や、1971年発行の『シルクロードの旅』、『中央アジア探検史』などに現されました。
 深田は、亡くなる年の秋にも、シルクロードの旅が計画されていました。
 もう少し長生きされていたら、シルクロードの研究も、もっと深く、大きなものになったと思われます。残念です。

1978年卯辰山文庫『九山山句集』
 1月25日( 金 ) 「 深田久弥の足跡ー20 」

 「 俳人 九山ー3 」
 深田久弥一家は、昭和26年、大聖寺から金沢市の御歩町に移り昭和30年まで、約4年半くらします。大聖寺時代から金沢時代、「はつしほ俳句会」と共に、金沢の「あらうみ俳句会」とも交流を深めます。「あらうみ」は、「ほととぎす」直系の句会で、深田が高浜虚子とつながりがあったことからの交流だったでしょう。あらうみの主宰、杉原竹女さんご一家とは親密なお付き合いだったといわれます。
 高浜虚子の関係から、虚子の門人ともこの頃も交流があり、特に虚子の4S(4大高弟)といわれた一人、高野素十さんは何度も深田を訪ねてきました。深田の死後も、素十先生は、はつしほやあらうみと交流があったそうです。
 山の文化館に展示されている、寄せ書きの徳利には、九山、萬風、青峰(中村青峰=2代はつしほ会長)、聖城子、竹女・・・と共に、素十の名もありました。
 深田久弥の死後7年後、志げ子夫人達により『九山句集』が刊行されました。その感慨を志げ子夫人は「遺句集を 編みて安堵の 春炬燵」と詠んでいます。
 刊行の数日後、志げ子夫人は、「安堵」するように、お亡くなりになりました。

 はつしほ 句集
 1月24日( 木 ) 「 深田久弥の足跡ー19 」

 「 俳人 九山ー2 」
 1947年、深田久弥は故郷の大聖寺に家族で移り住み、先輩の稲坂謙三の離れで3年半過ごします。大聖寺時代深田は、この町に在った句会を育てます。句会は「はつしほ句会」と名付けられました。初め「初潮」としましたが、女性の生理と思われるとのことで「はつしほ」とひらがなになったそうです。初代会長は稲坂謙三で、俳号を「萬風(ばんぷう)」と称しました。バンプウとは竹のことです。竹は藪に有り、彼は医者でしたので「藪医者」と洒落たのです。藪どころか彼はこの地では名医でした。名医だからこそ洒落られる俳号だったのでしょう。
 はつしほ俳句会の第一回の句会は、芭蕉と五百羅漢で有名な全性寺(ぜんしょうじ)で行われました。全性寺には九山の句碑が有ります。全性寺で詠まれた句11句が刻まれた碑と、その代表的な句「翁忌や 師を継ぐゆえに 師を模さず」の句が刻まれた自然石の碑の二つがあります。
 はつしほ俳句会は、深田の亡くなった翌年から、命日の3月21日に、大聖寺で「九山忌」の句会を続けてきました。




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